仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

スナック・キャバクラでの一人飲みが終焉!!まじめなヒロちゃん?

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終わり

真夜中に失礼します~~~ヒロちゃんです!!

 

前の記事で、スナック・キャバクラで放蕩三昧のヒロちゃんでしたが、

 

dorachan07.hatenablog.com

 

とうとう、このような浪費生活にピリオドが打たれる事になりました。

今回はこのあたりを綴って行きます。

 

ヒロちゃんが通っていたスナック、

「チビ」

「ニューヨーク」

キャバ嬢の「あやちゃん」がその後どうなって行ったかを

お伝えしなければなりません!!!

 

前の記事にも書きましたが、チビママとニューヨークのママ、ほたるは

友人でした。しかし、二人のその後は全く異なる結末を迎えます。

 

ニューヨークを裏町のビルの一角で復活させたほたるでしたが、

商売は上手く行かなかったのです。

ほたるの家庭の事情もあって、お店が営業してるのがまばらになったのでした。

ほたるの常連さんが利用していた店ですが、行きたい時に開いてない状態が

多くなって行ったので、当然お客が来なくなります。

こうなると、商売上がったりになってしまい、とうとうお店の水光費を

延滞するようになっていったのです。

 

たまに気になってニューヨークの前まで行ってみましたが、営業してなく

水道費や電気代の督促状が店のポストに散乱している始末・・・

オープンから1年後には事実上、廃業状態になりました・・・

その後、ほたるはどうしたのか??ヒロちゃんにも消息は不明です。

 

方や、チビママはどうなかったというと・・・

やはりチビもお客の入りが悪くなり、その時のお店の家賃が負担になっていたようです。ママは思い切ってお店を移転させました。

実はチビママ、雇われママさんだったのです!!

出資者が別にいて、箱だけは用意するから後は好きにやって、上がりの何割を頂戴ね、という契約だったようです。

 

家賃負担がもっと少なくなるこじんまりしたお店に引っ越しました。

今度はカウンターが主になり、テーブル席は2つだけ。

ママと、女の子二人だけで回せるように規模を縮小させました。

ちょうど、ヒロちゃんが佐久のスナックに通っていた時と同じ規模になったのです。

 

この大きさになると、以前よりママとの距離がぐっと近くなり、また、以前よりも

お店も混まないこと、ほたるの店が閉店状態になって行くところが減ったので

チビママとより親密な関係になって行ったのです。

相変わらず、テーブルチャージは毎回4,000円取られるので、キープするお酒は

JINROだけです。ただし、ボーナス支給時だけはチビママにわがまま言って

ラフロイグや、ボウモアを入れてもらいました!!

正露丸を水で溶いたウイスキー飲んだことある??」っていう話題から

ラフロイグ仕入れてもらい、チビママと女の子と一緒に飲んで見たのです。

ヒロちゃんの大好きなウイスキーでいたが、チビママ、女の子の反応はやはり

「こんなの飲めるか~~~」でした。

 

この頃は酒の量販店でも1本3,000円以上はいしていたラフロイグなので

チビママのお店でのキープ代は1万円!!!超高いお酒でした。

 

また、仕事帰りでろくな夕食も食べず、いきなりチビママのお店に行くので

(普通は居酒屋さんとかに寄った後の二次会で利用するのですが・・)

お酒が進むとどうしてもお腹が空いてしまいます・・

 

スナックでラーメンの出前を頼むというのも、このお店に来てから初めての

体験でした。その、出前ラーメンが超うまい!!

 

現在でも、松本市の裏町には2軒ラーメン屋さんがあります。

一軒は店主がコロコロ変わるが営業し続けている「ラーメンQ」

もう一軒は、前の店主の甥っ子さんが店を引き継いで先代からの

店の味を守り続けている「招福」です。

 

ヒロちゃんは招福が大好きでした。

職人気質の親父さんが作る味噌ラーメンと、手作りチャーシューは

それはもう呑兵衛にはたまらない究極のラーメンでした。

お店は超汚い(笑)のですが・・お店に行くと、メニューで餃子や

チャーハンが食べられるので、平日でも深夜になると結構盛っていました。

親父さんが年をとってしまい、深夜の営業が体に堪えるとのことで引退し

代わりに、甥っ子さん夫婦が店を継いだようです。

 

 

おっと、話が脱線しましたが、移転した「チビ」にその後ヒロちゃんは

「チビ」が閉店するまで通うことになりました。

2006年の時期は忘れましたが、「チビ」が移転しました。

移転後、週に最低でも1回は顔を出す飲み生活が続いていました。

店の規模を縮小した結果、チビママのことが大好きなファンが集う

隠れ家的なスナックに生まれ変わり、とても居心地がいいお店になりました。

 

ビジネス的には大儲けはできなくても、経費や出資者へのロイヤリティを

払っても、チビママの取り分がシングルマザー家計を支えるのに十分な収入を

得られる規模で回っていたようです。

 

チビママファンの集いの究極が、2006年の大晦日でした。

2007年への新年カウントダウンをお店で祝うとということで、

チビに通う濃いお客さんが数人集まり、2007年の新年祝をお店で

やったことが今でも印象に残っています!!

 

除夜の鐘を聞きながら、ヒロちゃんが差し入れたヒロちゃんの叔父さんが

営んでいる蕎麦屋さんから買って来た年越しそばを振る舞われながら

2時ぐらいまで騒いでいたのをよく覚えています。

 

その後・・・・・

2007年、2008年はヒロちゃんの人生に大きな転機を与えた年に

なっているのですが、詳細はまた別の記事で紹介します。

2007年の4月1日つけでヒロちゃんは自宅通勤出来る支店から

今度は新潟県上越市の支店に転勤になるのです!!

転勤して、チビママや、キャバクラのあやちゃん通いが終わったかというと・・

そうではなかったのです。

初めての県外勤務、長野県とは違った環境にかなりの違和感を覚えたヒロちゃんは

新潟勤務に全く慣れなかったのでした。

 

独身寮は高田市にあったのですが、今度は片道40分掛けて

イカーで通勤する環境になりました。

当然、寮に帰らなければお酒は飲めないので、高田市での

新規開拓に出る余裕もありません・・・紹介してくれる人と出会えなかったという

こともあったと思いますが、高田市で飲み屋に行ったという機会は数えるしか

経験しませんでした。

 

その代わり、金曜日の夜は仕事が終わると、松本の実家に帰ってから簡単な

夕食を食べたあと、チビママのお店に行っては2時位まで飲んでいる・・・

そんな変な生活を2007年の11月まで続けることになったのです!!

 

この11月というのが、「チビ」が閉店した月でもあったからでした。

チビママ、かねてから交際していた男性と再婚し妊娠したからでした。

夜の仕事から足を洗うということで、2007年11月で「チビ」は

閉店してしまったのです・・・

 

それ以降、ヒロちゃんが仕事のストレスを発散させる場所が無くなってしまい、

だんだん精神的に追い込まれるようになります。

新潟の支店では、なんだか自分以外の人間が全員敵みたいな人間関係に

陥ってしまいました。一番ひどかったのが直属の営業課長で、自分の身の

保全のために、ヒロちゃんの行動をいちいちチェックし、重箱の角をつつく

ような細かいことも管理するようになって行きました。

 

ヒロちゃんのミスを自分がかぶらないように、ヒロちゃんを徹底管理し

その上で毎日営業実績をあげるように監視してきました。

更に良くなかったことは、その他の支店の人たちも、ヒロちゃんを

要危険人物みたいな色眼鏡で見るようになって行ったのです。

それまで培って来た営業スタイルや事務の処理の仕方まで完全否定され

だんだん、ヒロちゃんは自分の居場所を失って行き、仕事上で困った事が

起こっても相談する相手がいない状態になって行きました。

 

さらに追い打ちをかけたのが、新潟の冬の気候でした。雪との戦いです!!

高田市も豪雪地帯なのですが、今まで経験したことのない雪質に大いに

悩まさえれる事に疲弊していきました・・

長野県の雪と違い、高田の雪は湿気を多く含んだ重たい雪が一晩で

30センチ以上毎日積もるのです。

 

通勤のために雪に埋もれた車を掘り出すのですが、何しろ雪が重たい。

スコップで周りの雪をかき出して車の雪を落としてゆくのですが

なかなか雪が落ちない。こんな格闘を毎朝10分以上はしないと出発できない

毎日を送っていたのですが・・・たった一月で疲れ果ててしまいました。

 

2008年の年始は何を思ったか、1月2日に高田の独身寮に戻っていたのです。

その時の心境は、3日の日は1日何もしないでゆっくり過したいと結構切羽

詰まったものがあったように記憶しています。

4日から仕事初め。相変わらず降る新潟特有の雪に悩まされながら、2008年の

営業を開始しますが・・・

だんだん直属の営業課長との人間関係が悪化の一途をたどって行きました。

 

それで、上司のある一言がヒロちゃんの心に「もう限界!!!」と言わせる

ようになり、ヒロちゃんは自分を守るために衝動的にこんな行動をとったのです。

 

その行動とは、銀行本部の健康管理室にメールを打つというものでした。

ヒロちゃんが上司との軋轢の中でどうすれば自分が嫌な思いをしないで済むか・・

その時取った行動が、現状の放棄だったのです。

 

この、健康管理室にメールを打つという行動が、その後どういう結果になるのか

ある程度は予想した上でのものでした。なにしろもう限界だったので、藁を掴む

気持ちで衝動的だったとはいえ、ある意味計画的な行動でした。

 

 

健康管理室に送ったメールというのは、たったの一行、

 

「自殺したいです。苦しまずに確実に死ねる方法を教えて下さい」

 

と、一行だけ送ったのです。

 

 

今でも残っているのですが、2008年の手帳にしっかり書いてありました。

「2008年1月26日、健康管理室にメール」

この日、営業課の朝礼で営業課長がヒロちゃんに言った一言が行動を実行する

導火線になりました。もうこれ以上、我慢してこの人の言う事を聞くことが

我慢できなくなったヒロちゃんは、その日の約束していた訪問先に出かける前に

先程のメールを健康管理室に送り、アポを取った訪問先に出かけました。

 

午前の訪問先を回った後、昼に支店に戻った時のヒロちゃんは、変な意味で

ワクワクしていました。メールの反応がどうなったのか期待していたところ・・

 

昼食の時は何も起こりませんでした。

で、午後の訪問先に出かけ、午後3時に戻った時、支店の中は一種異様でした。

 

戻った途端に支店長がヒロちゃんに詰め寄り、

「これからまだ訪問する先あるのか??」と聞くのです。

 

「預かった通帳を返却するためにもう一件訪問しないと・・・」

と、ゴニョゴニョ言っていると、

支店長が「俺が一緒についていくから、早く済ませよう」

という始末・・・

 

これで、健康管理室に送ったメールの反応がどうなったのか、やっと

わかった始末です。ヒロちゃんは健康管理室預かりの身になって

その日の業務終了とともに、実家に護送されました。

 

長野市の健康管理室から看護師さんが、高田まで飛んできてくれていました。

メールを見たのが遅かったみたいで、スケジュールの調整に手間がかかり

具体的な応対が午後にずれ込んだみたいでした。

 

通帳返却のために、同行した支店長は訪問が済んだ帰りの道すがら

「ここで車を止めて」と道の駅に立ち寄りました。

缶コーヒー片手に、ヒロちゃんからの事情聴取がはじまりました。

 

ヒロちゃんも、今の仕事がうまく行ってないこと、直属の上司と反りが合わない事、

銀行に未報告の借金があって返済に困っていること・・

この際洗いざらい悩みをすべて吐き出しました。

 

その後、支店に戻り、看護師さんと面談。とにかく自宅に戻って休むことと

精神科を受診することを指示され、看護師さん付添のもと長野市まで電車で

移動しました。長野駅に父が迎えに来ていて、父の付添のもと自宅に戻りました。

翌日、松本市相澤病院心療内科を受診することになり、現在も治療は

続いています・・・・・

 

これで、ヒロちゃんの10数年に及んだスナック・キャバクラでの一人飲み三昧生活に

終止符が打たることになりました。

休職中は不思議なことに、ほとんどお酒を口にしなかったのです。

唯一、キャバ嬢あやちゃんだけはメールで連絡をとっていて、休職中でも

月一回の指名が欲しかったあやちゃんのお願いが断りきれずに、開店直後の早い時間にワンセットだけ月1回顔を出す事を1年近く続けていました。

 

ヒロちゃんは、2008年の8月を持って銀行を退職し、9月から現在の旅館で働くことに

なるのですが、転職した最初の1~2年間は、本当に給料が少なかったので、この月一回

5,000円のキャバクラ代金を支払うのが困難でした。(その前の遊び呆けていたときには考えられないほど貧乏・・・)

あやちゃんとは実は、キャバ嬢と馴染みの客の関係より、もっと深い中になりかけて

いたのですが・・・ヒロちゃんの懐具合の悪さや、あやちゃんがとうとう昼夜通しての

ダブルワークで体を壊してしまい、実家に帰ってしまったことからメールでの連絡も

絶えてしまい、今は音信不通です・・・・

 

あやちゃんとの関係も切れたときには、旅館の仕事も本格的になってきて、職場の

寮に泊まり込むことになったので、これで本当に一人で夜の街で飲む生活が完全に 

終焉しました。今は半年の間に1~2回、職場の仲間で飲みに行く機会があるかどうかの

生活ぶりです。

 

家や寮での晩酌は欠かさないので、毎月お酒にかかる費用は1万円弱でしょうか??
でも、スナック・キャバクラで放蕩三昧だった頃にくらべるとかなり真面目に

なったヒロちゃんでしょ??

夜のお店にもかなり疎くなったので、たまに飲みに行くと何処に行けばいいのか

わからいような状態です。外でお酒を飲むお金に余裕もない状態なので、もっぱら

ブラックニッカをちびちび飲みながらyoutubeで動画鑑賞するのが唯一の楽しみです。

 

こんな状態になったヒロちゃんですが、今でも一軒だけ一人で飲みに行ける

居酒屋さんが長野市にあります。

去年の6月に久しぶりに行って来たのですが、ヒロちゃんが社会人になって

初めて行った居酒屋さんでその後ず~~と機会があれば顔を出す居酒屋さん。

次の記事ではこの居酒屋さんの思い出を記事にしますね~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャバクラの同伴を楽しみながらスナック通い!ダブル飲みで放蕩三昧!!

 

 

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同伴

 

今晩にゃんこ~~(=^・^=) シークァーサーサワーで晩酌中のヒロちゃんです♬

 

前回の記事で、スナックとキャバクラのダブル飲み通いをはじめたヒロちゃんの

様子を書きましたが・・・・・

 

dorachan07.hatenablog.com

 

なんでそんな強行飲みスタイルを続けたか、理由というか、言い訳というか

その辺りを綴って行きますね~~~

 

で、前回の記事で、ニューヨークのママ、ほたるから自分の友だちが裏町で

店をオープンさせたから行ってみて、と言われ、言われるままに行ってみたのが

きっかけとなりました。

 

ほたるのお店、あまり面白くなかったので、行っても月3回とか、そんな感じ

だったのですが、ほたるの友達のお店に行ったところ・・・

佐久市時代のスナック通いヒロちゃんが復活してしまったのです!!

 

そのお店の名前は「チビ」と言いました。

結構広いお店で、カウンターはあったのですが、ほとんど利用されることはなく

一人で飲みに行ってもテーブルに通されて、応対されていました。

 

ママ、バーテンさん、女の子が2人(多い時は3人)いて、ラウンジみたいな

お店だったと記憶しています。

お店を満タンにすれば、20人ぐらいは入れる規模だったような気がします。

 

で、ここのママさんにヒロちゃんはハマってしまったのです!!

年はホタルと同じ年、ヒロちゃんの3歳したです。

旦那とは離婚して、二人の子持ちのママでしたが、ヒロちゃんには太陽なような

人でした。明るくて、能天気。それでいて細かなことまで世話を焼いてくれる

なんか自分より年下なのに、お姉さんみたいなママさんでした(あ、これと同じ事

佐久のママさんのところでも書いたっけな~~~)

 

ママさんの他に、バイトの女の子が3人いて、交代で出勤していました。

ママと一緒に仕事していた女の子が一人(この子は美人で、固定客がついていたので

お店がオープンして半年ぐらいはこの子目当てのお客さんがたくさん来てました)

後は、水商売初めての女の子でしたが、なかなか気が利く子達でした。

 

お店が広く、女の子、バーテンさんもいて、そして何よりママさんの前の

店からのお客さんも沢山いて、はじめの頃はとにかく盛っていました。

こういう活気があるお店に行ったのは初めての経験だったので、思わずヒロちゃんは

この「チビ」が気に入ってしまい、一人で一日置きに通うことになったのです。

 

ちょうど、松本市の裏町という場所が、松本駅からヒロちゃんの自宅の中間点に

あったので、駅から歩いて15分。お店で寄り道をしてからまた20分かけて

歩いて帰る。そういう飲み方をしていました。駅前で飲んでいるよりかは

タクシー代浮くしね~~~

 

オープンしてから半年ぐらいは、とにかくお客のたくさんいるお店でした。

ママの常連さん、女の子のお馴染みさんなどが来店して、週末にもなれば

席がなくて、ほとんど使っていないカウンターで一人飲みしたことも数回。

また、お相手してくれるママや、女の子が忙しくて自分には手が回らず

放置プレーwww。見かねたバーテンさんが自分の席に来て一緒に飲んでくれた

こともありました。

 

でも、このお店もだんだん客足が少なくなっていき、暇な事が多くなって

行くのです・・・松本市の「裏町」という場所が、そもそも衰退の一途を

たどっていました。10年前は歓楽街で、それは盛っていたのですが・・・

駅からタクシー使わないと行けないという立地がもう現代受けしませんね。

客層も高齢化していき、昔の良き時代を知る人とその時のママたちの場所という

ことで若者が寄り付かなくなって、衰退していきました。

若者が来ない飲み屋街はいずれ衰退し、枯渇します。だって新規のお客さんが

来ないのですから、わかりきったことですよね。

 

お客が来ない⇒面白い店がなくなる⇒行っても面白くない

こういう負のスパイラルで裏町は今や風前の灯火みたいな街になっています。

 

「チビ」もその流れには逆らえず、最初の半年はママの馴染みのお客が沢山

来ていましたが、駅から遠い立地が災いしてだんだんそういうお客さんが来なく

なりました。もともと新規の若者が来店するなんてめったに無い街で

常連さんが離れて行くとお客が少なくなって行くんです。

 

そんな苦しい経営の中でしたが、チビママの明るさだけは衰えませんでした。

苦しい事を一切顔には出さず、来てくれるお客さんを持ち前の明るさと

気の利いたトークでいつももてなしていました。

 

そんな、明るく気の利くママさんや、ママをフォローする女の子の魅力に取りつかれ

いつしか、駅前のニューヨークには足が遠ざかることになります・・・

それでも、半月に1回は顔を出すようにしていましたが、「チビ」に通うようになって

数ヶ月経ったある時、駅前のニューヨークに事件が起きました!!!

ほたるいわく、「大家と店の利用の仕方がトラブルになって、営業できないようになった」とその時は言っていましたが・・・・(ヒロちゃんもほたるの言ってたこと信じていました)
後になってよくよく考えると、おそらく家賃が滞納していたのだと思います。

数ヶ月家賃が払えなくなっていたのだと考えられますが、とある月を最後に

ニューヨークは閉店してしまいました。

 

で、ほたるはどうなったかと言うと、なんとチビのママの店で働くようになったのです。ここは、チビママ、ほたる、友達同士で助け合った格好になりました。

 

ヒロちゃんにとっては好都合で、二人のママが同じ店に居るのでお店を分けて通う事が

なくなったので、しばらく「チビ」だけに集中して通うことになりました。

 

二人のママさんの手玉に取られるかの如く、お店に通ったヒロちゃん、そのうち

ほたるから、同伴出勤させて!!ってお願いされてしまい、同伴を経験するのです!!

 

松本駅からタクシーで15分ほどの、いわゆる山の手の住宅街に一軒営業している

ステーキ屋さんに同伴しました。(店を選んだのはヒロちゃんですww)

夜は松本市街の夜景を一望できるこのステーキ屋さん、実は昔は裏町で営業していた

ステーキ屋さんです。ヒロちゃんが高校生まで、父親が家族全員で半年に1回は

連れて行って行ってくれたお店です。

 

カウンター席に座り、シェフが目の前で肉を焼いてくれたものを頂くという

なんとも贅沢なディナーを楽しんだ後に、お店に移動。

お店で今度は焼酎で酔っ払うという実に派手な一日を過ごしました・・・

 

ほたると同伴したのを見かねて、チビママが「今度は私も連れてって!!」

という始末・・・数週間後に、今度はチビママと同伴しましたwwwwwww

でも、チビママ、そこはやはりできた人で、ヒロちゃんがあまりお金持っていない

事をしっかり見抜いていて「贅沢しないでいいよ~~、ここ行こう!!」

って、ママが決めたお店は、最近オープンしたジンギスカンのお店でした。

ジンギスカンつつきながら、ほろ酔いになったところで、お店に移動。

チビママは、他のご常連さんの席に行っていました。

 

どうも、チビママにとってほたるに店をかき回されるのが面白くなかったようです。

友だちといっても、そこはママと従業員の関係。ここをしっかり区別させたいと

チビママは思っていたようです。ほたるが休みの時にお店に行くと、最近の

ほたるの振る舞いが気に入らない、どっちがママなのかわからないような勝手なことを

すると、愚痴をこぼした事がありました。

 

それで、この困った“ダブルママ??”の状態はそんなに長くは続きませんでした。

というのも、やはりほたるが雇われで自分が好きなようにできないことを窮屈に

感じたか?はたまた時間稼ぎの雇われだったのかは定かではありませんが、

ほたるはスポンサーの好意により、また自分のお店をオープンさせる事になったのです!!場所は同じ裏町。スポンサーは地元で老舗の鮮魚店が所有するビルの一角に

「ニューヨーク」が復活しました。

 

「うおちょう」ビルの3階に新生「ニューヨーク」がオープンしました。

ビルの横に掲げている看板には、ベタに“自由の女神”が描かれて・・・

ほたるがお出してから数週間したある時、チビママがヒロちゃんに

「一体どんなお店なのか、行って見て、感想聞かせてよ!!」

とけしかけるのです。

 

ヒロちゃんもほたるの事気になっていたので、新生「ニューヨーク」に顔を

出してみました。
お店は、駅前にあったときの半分以下の広さ。

カウンターと、奥にボックス席があって、10人も入れば満席になるぐらいの

規模でした。ほたるが一人で切り盛りしていたので、ちょうどいい

広さだったと思います。

 

狭いけど、白を基調とした店内は、駅前のときのような暗さは感じられず

とても明るく、清潔なイメージを受けました。

オープンして数ヶ月は、馴染みのお客さんが通っていたので、そこそこ

繁盛していましたが・・・・・

客足の悪さと、ほたるの家庭の事情でだんだん衰退していき・・・

店をオープンさせてから1年後には、事実上クローズ状態になってしまいました。

 

一番の原因は、ほたるの家庭の事情なんですが・・・あまりプライベートな

事は書きたくないので詳細は書きませんが、家庭の様々な事情が重なって

お店が閉まっている日が多くなって行ったのです。

定休日以外でもお店が閉まっていて、馴染みのお客さんが来ても営業していない。

営業していないのでどんどんなじみ客が減っていく・・・

そういう負のスパイラルに入ってしまった「ニューヨーク」

1年後には事実上廃業に追い込まれてしまいました・・・

ほたるはその後どうしたかと言うと・・・ヒロちゃんにも消息は不明です。

 

で、やっとここまで書いて、タイトルにあるスナックとキャバクラの

ダブル飲みをするようになったことに触れることにします!!!
引張過ぎました・・・・ごめんなさいwww

 

キャバクラデビューしたきっかけは、この記事で紹介しました。

 

dorachan07.hatenablog.com

 

お気に入りのキャバ嬢「あやちゃん」と結構長く付き合っていました。

指名するのはいつもあやちゃん。

 こんなひと回り近く年が下のキャバ嬢にすっかり魅せられてしまいました。

 

何故か・・・

キャバ嬢によくありがちな“営業”を一切しなかったからです。

ヒロちゃんの隣に座り、ヒロちゃんのくだらない話や、仕事の愚痴を

うなずきながら聞いてくれ、また、あやちゃんと語るどうでもいい話が

ヒロちゃんにとってはとても心地よいものだったからです。

 

あやちゃん、目がくりくりしていて、細長の顔。

まさにこんな感じ

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背が高くて(あやちゃんがヒール履くとヒロちゃんより背が高いww)

すらっとしったスリムなシルエットが、キャバドレスにとても映える素敵な姿。

お店の中では結構目立つスタイルの子なのに・・・・

頻繁に指名がつく子ではなかったようです。

 

いつも指名のキャバ嬢のヘルプに回っているだけのあまり目立たない子

それが現実のあやちゃんでした。

でも、話をしているととても相手の事を思いやり、自分の関心事と相手の

興味を合わせる事ができ機転の効く会話をする頭のいい子でした。

また、ぱっと見のスタイルもすごく目立つので、ヒロちゃんはあやちゃんを

お気に入りにしてしまったのです。

 

スナックと、キャバクラの最大の違いはカウンターの存在と、前の記事でも

書きましたが、まさにこのカウンターの存在で、ヒロちゃんはキャバクラと

スナックを使い分けていました。

 

同じ一人飲みをする時にキャバクラとスナック、どちらがコストパフォーマンスが

高いか、真剣に検討しかことがあります。

というのも、松本市の飲み屋は総じてコストが高いのです。

スナックのテーブルチャージが4,000円、つまり座っただけで4千円取られますが・・・

何時間座っていても、酒さえ飲まなければそれ以上はかかりません。

 

方やキャバクラ、2~3時間いれば2万円は飛んでいったのですが・・・

お酒は飲み放題(でも超安い悪いお酒・・・)

 

パ~~っと短時間で思いっきり飲みたい時はキャバクラ、

ねちねちママを相手に愚痴りながらちびちび自分のボトルで飲むなら

スナック・・・そんな使い分けを覚えたのです。

(でも、酒に浪費しているっていうツッコミだけはしないでね・・・)

 

そんなこんなで、キャバ嬢あやちゃんともすっかり打ち解けたヒロちゃんですが

営業ベタなあやちゃんは、「今月売上足りないから、同伴して!!」

と、ヒロちゃんに訴えるようになりました。

初めて聞いたあやちゃんからの営業トークに、いてもたってもいられなくなった

ヒロちゃんは即OKの返事をしてしまうのです。

恐らく、こんなお願い営業していたのはヒロちゃんだけだっと思います。

ヘルプについた他の席でも、本指名がなかなか取れなくて結構ヤバイ・・

そんな状態でも、あやちゃんはヒロちゃんの前だけは気丈に振る舞っていました。

そんなあやちゃんの振る舞いに益々熱を上げていったヒロちゃん。

月に1回の同伴が取れなかった時の隠し玉のようにヒロちゃんが同伴してました。

 

で、あやちゃん、まだ若いのにどうしてこんなにお水の商売に精通してるのか

疑問に思いましたが、あやちゃんからそのあたりを聞くことができました。

 

あやちゃん、高校卒業してすぐに、裏町のラウンジで働くようになったのです。

まだ、裏町が松本市の歓楽街で金回りのいいお客さんが沢山出入りする結構

高級ラウンジが裏町にあったのですが、そこのホステスとして働いていたようです。

ラウンジの女の子の従業員寮が裏町から遠くないところにあったようですが

あやちゃん、タクシーのワンメーターでいつも帰っていたようですww

(あやちゃん曰く、酔って歩くのが面倒だったから・・・)

 

このエピソード聞いて、納得が行ったような気がします。

金回りのいいオッサンたちが出入りする高級ラウンジなので

そんなにあくせく営業しなくても、あやちゃんは結構人気があったと思います。

なんせ可愛いからwww

スケベなオッサンたちにちやほやされながら指名取ってたと想像できます。

 

そんなあやちゃんの夜の仕事は長続きせず・・・この高級ラウンジも客足の

減少で閉店してしまうのです。

いったん夜の仕事から足を洗ったあやちゃんですが、正社員として安定した

昼間の仕事につけなくて、アルバイトみたいな形で働いたらしいですが

それだけでは生活できず、今度は昼・夜のダブルワークをはじめたそうです。

 

で、このあやちゃんの事を、どんなきっかけだったかは忘れましたが

ほたるの店で話したのですが・・・

ほたるが「その子、自分と一緒に仕事をしていた梓って子だわ!!」

というのです。

 

なんと、ほたると、あやちゃん、裏町の高級ラウンジに一緒にいたようなのです。

ほたるの事をあやちゃんに話すと、「よく覚えている」とのこと。

それじゃ、一回一緒にほたるの店に行って見ない?ということになり、

ほたると、あやちゃんの数年ぶりの対面が実現したのですが・・・・・

 

あやちゃん、ほたるの店に入るなり、「早く帰ろう」といい出す始末。

なんか、面白くなかったようでした。

「このお店つまんない」と何度も言って、本当に早く帰りたいそぶり。

ほたるの事、本当は会いたくない過去の人だったようでした。

また、お店の辛気臭いのも気に入らなかったらしく、あやちゃんいわく

「あのお店、なくなるよ」とヒロちゃんにこそっと耳打ちしていました。

 

ほたるの店に30分いたかどうか、そそくさとヒロちゃんと一緒に

帰ったのでした・・・・

 

さてさて、こういう経緯からヒロちゃんはスナック、キャバクラの

ダブル飲み生活を続けたのですが・・・・

その生活が終焉を迎えることになります。

 

続きは次の記事に譲ることにいたします!!

ご期待あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックの新規開拓から、初めてのキャバクラデビュー!!楽しい一人飲み

キャバクラ

こにゃにゃちわんこ~~~~ 角ハイボールで晩酌中のヒロちゃんで~~~す♬

 

前の記事で、佐久市から転勤してきたヒロちゃんが、飲み屋の新規開拓を

初めるという事を書きました。

dorachan07.hatenablog.com

 

今回は、その新規開拓によって、ヒロちゃんの飲みライフがどう展開されたか

綴って行きたいと思います。

 

2003年の2月から自宅から通勤できる支店に転勤になったヒロちゃんですが

最初の1年間はほとんど夜の街に繰り出すことはなかったです。

支店の忘年会とか、業務係のお疲れ様会などの機会に数回支店のある安曇野市

次長、課長以外は全部女性という飲み会に参加したぐらいで、ほとんど家で

晩酌していた生活でした。

 

それが、2004年の2月から営業係に係替えした途端にガラリと飲み生活が

変わって行ったのです。

 

担当する地域内の主要法人・個人取引先の管理からはじまって、新規先の開拓

新規融資の貸し出しなど、営業係の仕事は本当に総合力が問われます。

金融のプロとしてお金にまつわる相談、疑問をネタにして商売していくのですが

一番大切なのは顧客と自分の距離をいかに短くするかが営業の肝だっと思っています。

 

相手の懐深く入って行ける取引関係ができあがると・・・

「お願いセールス」ができるようになるのです。

期末の時、数字の帳尻合わせのため1週間だけお金を借りて頂く。

自分のノルマが後1千万円足りないから、優良取引先の社長に泣きついて

「1週間だけ1千万円借りてください!!」

ってお願いするのです。

 

社長は嫌々ながら、

「でもヒロちゃんのお願いだから、借りてあげるよ。」

といって実行していただいた事が何度もありました。

 

こんな取引先との関係を構築するまで、少なくとも半年、いや1年間はかかります。

足繁く取引先を周り、用もないのに顔を出したり、ときには急な呼び出しに応じたりと

臨機応変な応対が求められるのです。

 

こういう超ストレスの掛かる営業係は、たいてい男ばかりのむさ苦しい集団です。

だいたい、仕事終わってみんなで帰るのですが、途中で一杯やっていこう!!
という事になるのが日常茶飯事でした。

 

係の係長をはじめとして、先輩後輩合わせて4人でよく居酒屋で飲んでいたのが

はじまりでした。

まだ営業係に係替えしたばかりのヒロちゃんは、なかなか仕事とお客さんに馴染めず

苦労していましたが、飲み会の席だけは喜んでついて行きました。

中には数回、支店長も同席での夜の飲み会もあって、緊張したことも覚えています。

 

そんなこんなで、毎週1~2日は仕事終わりに飲んで帰る事が習慣になっていった

ある日のこと、支店長がヒロちゃんに「松本駅前に、とても歌が上手なママさんの

スナックがあるから一緒に行こう」と誘われたのが、転勤先での新規スナック開拓の

はじまりでした。

 

そんなこんなで、支店長に連れられて、初めて松本駅前にある“歌のうまい”

ママのいるスナックに行ったのですが、確かママ一人だけで営業していたような

なんか店は広いのに暗い感じのお店だったような記憶があります。
お店の名前は「ニューヨーク」!!!
看板に自由の女神が描かれていて、ベタな感じがしましたが・・

ママが歌っていると、その魅力的な歌声に惹かれてしまいました。

 

ママさんはヒロちゃんよりも3歳年下の人で、クラブでホステスをしていて

独立してお店を構えたようです。

クラブの時の常連さんがママのお客様だったようでしたが、正直言って

「あまり盛ってない」ような感じのお店だったような気がします・・・

ママの源氏名が“ほたる”で、お店でも“ほたる”の名前が飛び交っていました。

ただ、やはり客筋があまり良くないと言うか、佐久で飲んでいたときの

客筋とは違っていたような印象がありました・・・

 

しかし、松本のスナックに通ってびっくりしたのがテーブルチャージの高いこと!!

座っただけで4,000円取られたので、ウイスキーのボトルなんて入れられません。

真露をチャージしてちびちび飲んでいました。

 

半年ぐらい、週に1回、多くて2回程度通うようになっていましたが、なんというか

積極的に寄って行こうとはなかなかなれず、と言っても他に一人でお店を開拓する

勇気も出なかったので、ズルズル「ニューヨーク」通いをしていたところ・・・

ママが、「自分のホステス時代に一緒に仕事をしていた友人がお店を出すから

よかったら行って見て」とヒロちゃんに言うのです。

 

ほたるに言われるまま、松本のかつての歓楽街「裏町」に新規オープンした

ラウンジ「チビ」

ここのママさんと、その後超仲良くなっていくのですが・・・

その話は次の記事に譲るとしましょう。

 

 

で、タイトルに書いた、キャバクラデビューについて紹介しなければなりません。

きっかけは・・・ヒロちゃんが勤務していた同じ銀行の松本市内の支店から

今度新規に融資をしたお店なので、ぜひ飲みに行ってほしいと、うちの支店の営業の課長に依頼があったようで(確か紹介した支店の営業課長とうちの支店の営業課長が同期入行だったと記憶しているのですが・・・)営業課長筆頭に営業係の男ばかり4人で

行ったのがきっかけでした。

 

それまで、スナックは何店か行ったことがあったのですが、キャバクラは初体験でした!!

一回行って見たいと思ったことはありましたが、なかなかきっかけがなく、なぜか

仕事の延長みたいな形でキャバクラデビューを果たしたのです。

 

メインバンクの紹介客と言うことでVIP席が用意されており(てか、VIPとそうでない席の違いも全くわかっていない状態です)、キャバ嬢が4人ついて宴席がはじまりました。

 

キャバクラと、スナックの大きな違い、それは「カウンター」です!!

 

カウンター越しにお客と接客するのがスナック。

キャバクラは、キャバ嬢が自分の隣に座って接客する。(これはクラブでも同じですよね~~~)

 

「カウンター」という仕切りで大きく接客が異なることを初めて知った体験でした。

また、料金体系も異なります。

スナックでは、テーブルチャージを支払えば、自分がキープしてあるお酒が

ある限り何時間でも飲んでいられます。

 

方や、キャバクラはセット制になっていて、ワンセット何千円という料金体系です。

開店間もない早い時間帯に行けば、ワンセット(このお店では50分でした)

4000円で、お店が用意したハウスボトル(焼酎なら大五郎、ウイスキーなら

サントリー・レッド)で悪酔いしながらwww、キャバ嬢との会話を楽しむという

ものだったのです!!

 

キャバクラ初デビューのヒロちゃんでしたが、1回でお気に入りのキャバ嬢に

巡り合ってしまいました!!!

“あや”ちゃんどいう源氏名でしたが、スリムで長身の体型で、眼力がとても強く

ヒロちゃんのどうでもいい話でも、ヒロちゃんの目を見て聞いてくれて、その

どうでもいい話に自分の意見を交えながら返してくれる、なかなか気が利く

キャバ嬢だったのです。

そして、あやちゃんを一回で気に入ったのは強引な営業を一切せず、

「気に入ったら、今度は指名してね♬」

と、さり気なくアピールしてにっこり笑っていたのです。

 

ヒロちゃんは、あやちゃんに一目惚れしてしまいましたwww

年はヒロちゃんの一回り下だったと思います。

昼間はアパレルのショップ店員をしながら、夜はキャバ嬢になって

ダブルワークをしながら、一人暮らしをしている子でした。

実家は、松本市の隣村の梓川村にあるようでしたが、実家に

いることを嫌って、一人暮らしをはじめたようでした。

Wワークの理由は、お金を稼ぐため。

昼間のショップ店員のお給料だけでは、一人暮らしができないので

夜の仕事もやっていたと、後になって聞かされました。

 

こうして、衝撃的なキャバクラデビューを果たしたヒロちゃんは

あやちゃんというキャバ嬢の魅力に取り憑かれてしまい、

その後、キャバクラ・スナックのダブル通いという超強行酒飲みスタイルを

2年ほど続ける事になるのですが・・・・

 

キャバクラと、スナックを旨く使い分けた飲み方をしていました。

というか、キャバクラのコストパフォーマンスの良さに気づいた

ヒロちゃんは、銀行を辞めて旅館の掃除の仕事に転職したジリ貧の状態でも

月1回あやちゃんのお店には顔を出していました。

開店からのワンセットは50分4,000円だったので、このワンセットだけ

目当てで転職後も1年ほど通っていました。

その後、昼間と、夜のダブルワークをこなしていたあやちゃんでしたが

とうとう疲労のために体を壊してしまい、実家に帰ることになって

このキャバクラ通いに幕を下ろすことになるのですが・・・・

 

結構長くなったので、この続きは次の記事に書きたいと思います。

銀行員時代、スナックとキャバクラのダブル飲み通いが何故続いたのか

そのあたりについて語って見たいと思います!!

 

乞うご期待あれ♬