仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

スナックで楽しい一人飲み!新規開拓は成功したか?

新規開拓

おはこんばんちわ~~~ウイスキー飲みながら執筆中のヒロちゃんどえす♬

 

前回の記事で、佐久市から転勤して自宅転勤となったヒロちゃん、

dorachan07.hatenablog.com

 

自宅のある松本市から、隣町の安曇野市の支店に通うようになりました。

それで、佐久のママとの縁が途絶えたかというと、実はそうでもなかったのです。

 

今回はその辺りの事情と、新勤務地でどんな“酒飲みライフ”を送って来たか

書いていこうとおもいます♬

 

自宅から通勤できることになったのですが、通勤時間がとても長くなってしまい

最初は困惑しました。それまで、あまり公共交通機関を使って通勤したことが

なかったので、バスに乗って駅まで行く⇒駅から電車で片道30分乗車。

ドアtoドアで通勤時間に1時間10分ほどかかるようになりました。

 

また、佐久市の支店では営業をしていたのですが、今回は業務係の各種相談窓口に

配属されたこともあり、自宅に戻って来てから約1年間は夜の街に繰り出して行くという機会がほどんどない生活を送りました。

業務係は、ヒロちゃんと、係長、次長以外は全員女性。

慣れない業務係の仕事で、飲みに行く元気が出ない。

何しろ、通勤に時間がかかり、その環境になかなか慣れない・・・

 

そんなことから、仕事に集中する事を最優先したヒロちゃんは

約1年間、夜の街に繰り出して飲み行く機会は数回しかありませんでした。

自宅と職場の通勤で疲れてしまい、もっぱら自宅で晩酌(ウイスキーではなく

何故かいいちこのお湯割りに変わってました・・)で過していたのです。

 

かなりの変化でしょ!!
ヒロちゃんにも、真面目にコツコツ仕事をこなしていた時期があったのです。

 

で、

佐久市のママさんのお店、転勤しても完全には切れていなかったのです!!

それというのも、2002年の秋の健康診断で、異常が見つかったヒロちゃんは

自分の担当先である内科クリニックに診断を受けたのですが(このクリニックが

前の記事で書いた、二日酔いで点滴してもらったクリニックです)

診断の結果、睡眠時無呼吸症候群の疑いがあるので、検査が必要との結果が

出てしまいました・・・

 

この診断結果が出たのが転勤の内示を受けた直後で、先生に、

「転勤になってしまったので、検査受けられないのですが・・・」

と、切り出したところ、

「一泊でいいからこっちに来て、検査受けられないかな~~

 土曜日もクリニックは診療しているから来られるよね。」

との先生のご提案。

2003年の2月一日での転勤辞令で自宅に戻り、2月4日から転勤先の支店で

勤務するようになりましたが、2月の土日は佐久市で1泊する事が2週続きました。

 

睡眠時無呼吸症候群の検査を受けるためにクリニックに行って、

「今夜寝る時にこの機器を着けて寝てくださいね~~
 機器は翌朝、クリニックのポストに投函して帰ってくださいね」

との先生のお言葉。

翌週、検査結果が出るので再度来てもらって治療方針を決定するということになり

二週連続して佐久市に通う事になりました。

 

検査機器の装着法を、看護師さんからレクチャーを受け(結構大変な

レクチャーでした)機器を預かり、予約した佐久平駅前のビジネスホテルに

チェックイン。当然、その夜はママさんのお店で飲んだくれ、(多分日付が

変わる頃まで飲んでましたwwww)

ホテルに帰って、検査機器を装着して寝ました。かなりベロベロに酔っていたので

果たしてこれで正確な検査結果が出るのかな~~とちょっと不安になったのですが。

翌日、検査機器をクリニックのポストに投函し、松本に帰りました。

 

で、翌週先生のクリニックに行って出た結果は・・・・

見事に睡眠時無呼吸症候群の疑いありでした。
(て、言うか検査機をつけて寝た晩は飲みすぎだったし・・・)

簡易な治療法として、就寝時にマウスピースをつけて寝れば

顎のかみ合わせが良くなって、気道が確保されるので、マウスピースを

作りましょうとの先生の提案で、佐久病院の歯科にかかれるよう推薦状を

持たされ佐久病院の歯科の予約を翌週に入れていただきました。

 

そんなこんなで、この睡眠時無呼吸症候群の治療のため、毎週佐久市

通うことになったのですが、寄れる時は佐久市に泊まってママの店に

顔を出していました。

 

その後も、半年に一回ぐらいは佐久に泊まっては、ママの店に行ってました。

ママも、佐久平のお店から、今度はママの義理のお兄さんが出資したお店の

雇われママさんとして、中込に帰っていました。

 

自分で経営していたときとは違って、大きなお店構えで使っている女の子も

常時2~3人はいたと記憶しています。(そのお店には都合3回しか行ってませんのでよく覚えていないんんです)

明るい活気のある感じのお店で、ママは生き生きとしていたように思います。

 

それで、やっとタイトルにある新規開拓の話に移れるのですが・・・

銀行で業務係だったヒロちゃんですが、1年経ったところで係替えになり
また営業の仕事に戻れました。

支店のある町の隣にある村全域が自分の担当エリアになり、

主にその村にある主要企業と、大口預金先を担当することになりました。

そして、新規の融資取引先を開拓することも主な任務にもなったので

(実は、ヒロちゃんは融資先の新規開拓が得意だったようです・・)

会社に事業資金をセールスする仕事に明け暮れるようになります。

 

既存の融資先に、更に新規の資金ニーズに応え融資を実行、融資残高の維持。

新規の融資先を開拓し、少額でも融資を売り込み実績を作る。

 

自宅から通える支店に転勤になり営業に戻った2年2ヶ月間は融資のセールスに

集中して仕事をしていたような気がします。(というより、こういう仕事が

自分には会っていたかもしれません)

当然、融資以外のノルマが存在し、この頃から銀行も投資信託を販売出来る

ようになったので、投資信託の販売ノルマもあったのですが・・

ほとんど無視していましたwwww

 

既存融資先への新規資金実行額

新規融資先獲得件数

住宅ローン実行残高

 

この3点だけ集中して仕事していたので、総合評価は散々たるものでした。

銀行は半年に一回自分が上げた業績評価が行われるのですが、与えられた

ノルマの達成度で自分の評価が決まります。

得意な分野ではノルマの120%の達成度を出せるのですが、不得意な

投資信託の販売や、クレジットカード販売数など預金業務に関わる項目が

いつも足を引っ張り、総合評価はいつもBランクだったのです。

 

そんなこんなで、営業係に係替えしたヒロちゃんは、毎日面白くない

日常が続き、佐久で通っていたママさんのお店みたいのが松本市でも

ないかと新規開拓に出ることになったのですが・・・・

 

ちょっと、長くなったので、続きは次の記事に譲ることにします!!
ヒロちゃんが松本市でスナック通いがどのように展開されるか

こうご期待あれ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックで一人飲みしていて、出会った貴重な人脈

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こんばんわんこ~~~酔っ払いのヒロちゃんです♬
(もう、毎回の挨拶は山崎邦正バリのギャグで!!!)

 

前の記事で、スナックで一人飲みにハマったヒロちゃんのことを

書きました。

dorachan07.hatenablog.com

 

今回は、お店で繰り広げられたママさんをはじめとして

飲みに来ていたお客さんとの関わりについて語って行きます。

このお店で出会えた人脈が、その時のヒロちゃんの仕事に

大いに役立たこともあったのです!!

 

このお店、本当に小さなお店だったので、カウンターで

一人のみしていると隣に座ったお客さんと自然に仲良くなっていきます。

ほとんどの場合、ヒロちゃんと同じく一人飲みで来るお客さんばかりで

(それも全員自分より年上・・・・)
職業も多岐に渡っていました。

 

そして、このお店で飲むことに安心感を覚えたのが、客層の良さでした。

酔いつぶれたり、酔っ払ってクダを巻く、暴れる!!

そんなことは一切なく、ママや女の子、そしてカウンターの他のお客さんと

ワイワイお互い楽しく喋りながら、紳士的に飲んでいました。

 

これは、ママさんの毅然とした接客の賜物だったと思います。

 ママさんは自分が嫌だと思ったり、問題を起こしたり、面倒くさいと思ったお客は

「二度と来るな!!!」と言って、塩をまいて(そんな事はしませんでしたが・・)
追い出していました。

 

客商売なのに、ママがお客を選んでいたのではないかと、今になって思っています。

だから、ヒロちゃんがいつお店に行っても、混んでて満席で入れないという

経験は全くありませんでした。

 

逆に、お客さんはヒロちゃんも含め2~3人だけなんてことも結構あり

お店をたたむ頃になると、ヒロちゃんだけの貸し切りの夜なんてことも

2~3度経験したこともあります。

 

佐久市の支店で勤務して、転勤になるまで、ママさんと関わって来ましたが

佐久市から安曇野市へ転勤になる2~3ヶ月前にママはお店を辞めてしまい、

とある会社が経営する居酒屋スナックの雇われママさんになってしまったのです。

 

この会社の社長さんが、ママのお店の常連さんで、(自分は会ったことないです)
ママが信頼していた方のようで、色々悩みを聞いてもらっていたようです。

実は、ママさんがヒロちゃんに自分のお店を辞めた本当の理由を、こっそり教えてくれたのですが・・・
重い更年期障害が原因で、自分で商売することが本当に嫌になってしまったみたいです。お店の運営のこと、女の子たちの給料や家賃、その他諸々・・・

色々考えるのが嫌で、いっそ雇われの身になって気軽に生きて行きたい、

そんな希望からお店をたたんだようです。

 

佐久市・中込にお店があってヒロちゃんの住んでいた独身寮から歩いて行ける

距離だったのが、今度のお店は隣町になってしまい、電車に乗って移動しないと

行けないところになってしまいました・・・

 

前みたいに、毎日行けるようなところではないので、ママが新しいお店に

移ってからは月に1~2回行ければいい回数になってしまい・・・

とても寂しい思いをしたものです。

 

 

と・・・・

えらく話が脱線しましたが、ママのお店で出会った貴重な人脈の話に

やっと入れるのですが、一人のみを長くしていて、出会ったお客様の中に

ヒロちゃんの支店の主要取引先である土建屋さんの社長も常連さんだったのです。

 

ママのお店で社長さんたちと仲良くなってしまい、仕事を抜きにしてママの

ファンと言うつながりで一緒にお酒を飲める間柄まで発展しました。

 

支店の融資課長が担当していた2社と、自分が担当していた1社、具体的には

木⚫建工社長

小⚫組社長

佐⚫組社長

守秘義務のため伏せ字にしてますwww)

この3人はママのお店で月1回無尽をやっていたみたいで

3回ほどその無尽の会の現場にお店で出くわした事がありました。

 

佐⚫組が自分の担当だったので、佐⚫社長がお店にいるのにびっくりして

ままにこそっと聞くと、いつも3人で月1回集まって飲んでいるということを

教えてもらい、木⚫社長と、小⚫社長に自分を紹介してくれました。

初めての時は名刺交換しただけで終わりましたが、2回目に出くわした時は

「あ!!またヒロちゃんがいるじゃないか!!」

と言われ席に混ぜてもらう事になりました。

 

何か歌を歌え!!とリクエストされたので、ヒロちゃんの得意な

中島みゆきの歌を数曲熱唱。

 

中でも「ヘッドライト・テールライト

youtu.be

 

これを歌ったら、小⚫組の社長に痛く感動され、

「俺の人生の応援歌をこんなにうまく歌うんか!!!」

と超褒められたのをよく覚えています。

 

その後、何回か3人と一緒させてもらった事があるのですが

いつも小⚫社長は、「ヒロちゃんヘッドライト歌え~~」とけしかけ

何故かヒロちゃんの歌声に聞き入ってくれました。

 

で、佐久市から転勤となった2003年の新年に、この3人の社長たちが

いつもママのお店で行っている新年会にヒロちゃんもよばれるという

光栄な機会を頂くことができました!!

 

2003年1月4日、ヒロちゃんは仕事はじめで出勤していましたが

3社長からのお招きがあるということで、定時で退社し電車に乗って

佐久平駅のママのお店に直行しました。(このとき、支店長はなんで自分が呼ばれなくてヒロちゃんが行くんだととても驚き、そして羨ましがっていましたが・・・)

 

社長たちの毎年の恒例新年会は、1月4日に群馬県のゴルフ場で新年プレーを

楽しんだ後、ママのお店に行って打ち上げの飲み会をするのが恒例のようでした。

すでに宴席ははじまっていて、ヒロちゃんが到着した頃にはもう皆さん

いい感じで酔っ払っていて、新年の挨拶もそこそこに

「お~~ヒロちゃんよく来た!!早く座って飲め~~~」

と、いきなりジョニ黒の水割りを駆けつけ三杯飲まされ宴会が進んで行きました。

 

当然、小⚫組社長からは、「中島みゆき歌え~~」とまくしたてられ

ヘッドライト、地上の星と、ヒロちゃんの独演会になって行くのですがwww

新年早々の営業だったこともあり、お客さんはまばらで22時を回った頃は

ヒロちゃんたちの席しかお客さんがいなくなったので、ママも店を早仕舞いして

宴席に加わり、5人で飲むことに・・・・

 

宴会がお開きになったのは確か午前1時頃だったような気がします。

気づいたらジョニ黒ボトルが5本空いてました!!!

どう考えても一人1本は飲んだ計算です。これにはヒロちゃんも驚いてしまいましたが

確かに5本空いてたんです・・・・

おそらく、寮に帰り着いたのは午前2時。そして翌日仕事に行ったのですが・・・・

始業時間ギリギリに支店に着いたのはいいものの、いかんせん超具合悪い・・・・

 

もう、朝からひどい二日酔いで仕事になんかなりません!!!

水をペットボトル1リットル一気に飲んでも、どうにもならないので

自分が担当していた内科のクリニックに行って点滴を打ってもらうことになりました・・・

 

ひどい脱水状態になっていたので、30分掛けて生理的食塩水を500ml点滴されて

「トイレ行きたくなりましたか?」と聞かれても全然だめ。

さらに追加で1リットル近く点滴され、やっとトイレに行きたくなって、治療終わり。

約2時間ほど点滴を受けてお昼過ぎには動けるようになりました。

 

支店に戻り、食事が取れるだけ回復したので支店長に謝りに行くと、烈火のごとく

叱られるかと思いきや、「ヒロちゃん午後は仕事してもらうぞ」と言われ

自分の主要担当先へ支店長と共に新年の挨拶まわりにでかけました。

支店長、かなり多目に見ていたようです。

 

そして後日、商工会の新年会で3社長とお会いしましたが、ヒロちゃんの

ひどい二日酔いがもう耳に入っていたらしく、

「あの晩は、相当飲んだからな~~~、点滴したなんて驚きだ~~」

と言われてしまう始末。ますます可愛がられるようになりました。

 

しかし、悲しいかなママと社長たちとの別れがやってきました。

2003年2月1日付けで転勤が決まりました。

かねてから希望を出していた自宅から通勤できる支店への配属が

このタイミングでやっと実現したのですが・・・

ヒロちゃんの心境は複雑でした。

 

自宅から通勤できて、両親と一緒に暮らせる関心感とともに

(ヒロちゃんは就職してから11年間、独身寮暮らしをしてました)

せっかく仲良くなれた社長達や、今やどんな悩みや苦しい時に愚痴れる

本当に自分のお姉さんみたいだったママさんと会えなくなることに

少なからずものすごい喪失感を覚えたのです。

 

転勤の内示がてたのが1月25日頃で、それから一週間で引き継ぎの資料を作り

引っ越しの準備をしたりと超慌ただしくなりました。

5年間住んでた部屋の片付けはかなりの困難を極めました。

てか、片付けられなかったのです・・・・(忙しいのと面倒くさいのと)

明日、引っ越し業者が来て引っ越す前の晩に、ママのお店に行ってお別れの

宴会をしてきました。

 

本当にお世話になりましたと、感謝の言葉しか出なくて、

泣けて来たのが印象に残っています。

「お前はホント手のかかる弟みたいなモンだったね!!」

と、言われた時は本当に涙が流れてしまいました。

 

 

飲んで帰った後、結局荷物の梱包が間に合わなくて、独身寮の

仲間(後輩たち)に手伝ってもらいながら・・・・

「ヒロちゃん先輩!!まだ荷物できてないんですか!!!
手伝いますから早く作業してください!!!」

 

手当たりしだい、部屋にあるものをダンボール箱に放り込み梱包して

引っ越し屋さんのトラックに積み込む・・

3人の後輩に手伝ってもらい荷物をトラックに積み込むことができました・・

当然、手伝ってもらった後輩達にはファミレスに連れて行ってお昼ごはんを

奢ってやりました。ヒロちゃんもこういう危機的な時に救いの手を差し伸べて

くれる人がいるんだと、とても感謝した記憶があります。

寮で最古参だったし(5年間住んでいたのはヒロちゃんだけでした)

皆と別け隔てなく気さくに話していたからだと思います。

我ながらこうやって自分の事気にかけてくれる人脈に恵まれたのは

自分の日頃の行動からだと実感した次第です。

 

ママさんをはじめとして、

3人の社長さん、

独身寮での仲間(後輩たち)、

様々なヒロちゃんにとって貴重な人脈だったのですが、転勤とともに

その後すべて疎遠になってしまいました。

 

特に2008年で銀行を退職した後は、全ての人脈が切れてしまい

今はみんなどうしているのかわからない状態です。

 

今となっては本当に残念なのですが、佐久のママさんだけは今どうしてるのか

元気にしているのか知りたいところです!!
ママさんがいつも言っていたのは年をとったら小さな蕎麦屋でもやって

のんきに暮らしたいということでした。

 

ママさんが本当にそういう悠々自適な生活してるのか、訪ねてみたいな~~

って気になって来ました。

 

佐久市で過した5年間はヒロちゃんの人生にとってとても貴重な学びを

与えてくれた5年間でした。出会う人すべてがとても素晴らしい方々ばかりで

ヒロちゃんの人間性を大きく育ててくれた恩人ばかりです。

職場の人々はもちろん、

取引先のお客様に一番刺激をもらって成長できました。

 

そして、一番の恩人がママさんです!!!

公私に渡って一番ヒロちゃんをサポートしてくれたのがママさんでした。

 

「お姉さん」みたいだったママさん、会いに行ってみたいですね~~

今実は密かに行動しようと仕込み中です。

ママさんに再会できたら、また記事にしますね~~~

乞うご期待あれ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックで一人飲みする面白さ!行きつけができれば最高♬

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スナックママ

おはこんばんちわ~~~ヒロちゃんです!!!

前回の記事で、それまで家飲み派だったヒロちゃんが

スナック通いの暴挙に出たと書きましたが・・・

dorachan07.hatenablog.com

 

今回はそのスナック通いの思い出を記事にしようと思います♬

(あ、決して写真のようなきれいなお姉さんがいたお店だったから

 通ったわけではないですよwww)

 

20代の頃は、スナック・キャバクラそんなところに行ってお酒飲んで

何が楽しいんだ!!って頭から決めつけていたヒロちゃん・・・

居酒屋でよく一人飲みしていました・・・・

 

居酒屋さんのカウンターに一人で座り、店主とカウンター越しに
他愛のないことで会話して酔っ払ってました。

また、たまたまカウンターで隣に座ったお客さんと意気投合して

一緒に飲む、そんなことをしていたひろちゃんですが。

 

どんきっかけだったかははっきり覚えていませんが、30代の前半になって

銀行員時代の赴任先の佐久市で行きつけのスナックができてしまい、
約2年ほどそのお店に入り浸るようになりました。

 

確か、そのスナックのママさんが、職場で一緒に働いていた女の子の叔母さんの店

ということで、支店長に連れられて行ったのがきっかけだったような???
そんな記憶が蘇って来ました。

支店長に連れられて行ったスナックは数件ありましたが、なぜか、このお店が

というより、ママさんに魅せられてしまい、その後ほぼ毎日通うことになって

行きました。小さいお店です。ママさんとバイトの女の子一人の2人だけで

カウンターは5~6人座れば満席。

4人掛けのシート席は確か2つだけだったような記憶があります。

 

ママさんは自分より確か12~15歳ぐらい上の小柄でスリムな方で

それでいてとても気風が良い姉御肌の感じで、はじめて会うと
「なんか怖い感じ」がするのですが、話をするととても思いやりのある方で

初めて行ったのに関わらず、「あ!!このお店また来たい!!」とすぐに

思わせる事ができるなかなか素晴らしママさんでした。

 

人の話を、話し手の目を見て真剣に聞いてくれることに初めて行ったとき

気がついたのでしょうか?このママさんのお店なら安心して飲めると

直感的に感じてしまったのです。

 

スナックって、いろんなお店があるじゃないですか。

お客だけ、入れるだけ入れて、お客の酒をがぶ飲みして新しい

ボトルをすぐ入れさせるようなボッタクリ店、訳のわからん安酒を

ハウスドリンクと言って結構いい値段で勧めてどんどん飲ませる。

女の子と話が弾むと、やれフルーツだのつまみだのと言って勝手に

いろんなものをオーダーして食べ散らかす次第・・・

 

こういうお客から金を巻き上げるような変な営業は一切せず

お客のペースで酒を振る舞い、自分たちはお酒を飲みに来る

お客さんのいろんな話、自分の愚痴、つまらななかったことなど

本当に他愛のないような話を真剣に聞いてくれながら、時には

鋭いツッコミが入る・・そんなとても安心しながら、かつ、

ママのところに行って普段同僚や上司に言えない不満や愚痴などを

聞いてもらえる安心な場所・・

そんなところだったので、ヒロちゃんがほぼ毎日のように通ってしまった

原因だったような気がします。

 

そんなこんなんで最初のうちは1週間に1~2回とか・・・そんな

ペースで行きはじめたのですが、だんだんママさんにいろんな事が

言えるようになってくると、だんだん通うペースが増えて行くようになりました。

 

ママも、最初は自分の愚痴を聞いていると、

「何甘えたこと言ってるの!!しゃんとしなさい!!」と突っぱねていましたが

だんだんヒロちゃんの「不器用なんだけれども、真剣に物事に取り組む」

「一度取り掛かった仕事は最後まで時間がかかってもやり抜く」

そういう本質をわかってもらえるようになって、

 

「お前もちゃんと考えて生きているのね~~~」

とヒロちゃんのことを認めてくれて、色々世話を焼いてくれるようになったのです!!

 

もう、こうなってしまうと、自分に「お姉さん」ができたような気分になってしまい

1年が過ぎた頃には、独身寮での夕飯はキャンセルし、ママの店で一杯飲みながら

ツマミを夕食にするという生活にどっぷりハマってしまいました。

 

ここまで信頼関係が構築されると、毎回ビール1本と、自分のキープしてある

ジョニ黒数杯、後ママさんの自慢の手料理のツマミ数点出してもらって

大体2~3時間いても3,000円以上を支払うことはなかったです。

冬の寒い時は、時々ママのサービスでサムゲタンが振る舞われる事があって

それはそれは超美味かったことを覚えています。

 

さてさて、この記事では何故ヒロちゃんがスナックにほぼ毎日通うという

暴挙に出たのか、きっかけをお伝えしましたが、ここのお店にほぼ毎日

通っていたら様々な面白いことに出会うようになります!!

 

今回は長くなったので、お店で出くわした様々な人との関わりのエピソードは

次回の記事に詳しく書きますね~~~

 

ご期待あれ!!!