仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

スナックで一人飲みしていて、出会った貴重な人脈

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こんばんわんこ~~~酔っ払いのヒロちゃんです♬
(もう、毎回の挨拶は山崎邦正バリのギャグで!!!)

 

前の記事で、スナックで一人飲みにハマったヒロちゃんのことを

書きました。

dorachan07.hatenablog.com

 

今回は、お店で繰り広げられたママさんをはじめとして

飲みに来ていたお客さんとの関わりについて語って行きます。

このお店で出会えた人脈が、その時のヒロちゃんの仕事に

大いに役立たこともあったのです!!

 

このお店、本当に小さなお店だったので、カウンターで

一人のみしていると隣に座ったお客さんと自然に仲良くなっていきます。

ほとんどの場合、ヒロちゃんと同じく一人飲みで来るお客さんばかりで

(それも全員自分より年上・・・・)
職業も多岐に渡っていました。

 

そして、このお店で飲むことに安心感を覚えたのが、客層の良さでした。

酔いつぶれたり、酔っ払ってクダを巻く、暴れる!!

そんなことは一切なく、ママや女の子、そしてカウンターの他のお客さんと

ワイワイお互い楽しく喋りながら、紳士的に飲んでいました。

 

これは、ママさんの毅然とした接客の賜物だったと思います。

 ママさんは自分が嫌だと思ったり、問題を起こしたり、面倒くさいと思ったお客は

「二度と来るな!!!」と言って、塩をまいて(そんな事はしませんでしたが・・)
追い出していました。

 

客商売なのに、ママがお客を選んでいたのではないかと、今になって思っています。

だから、ヒロちゃんがいつお店に行っても、混んでて満席で入れないという

経験は全くありませんでした。

 

逆に、お客さんはヒロちゃんも含め2~3人だけなんてことも結構あり

お店をたたむ頃になると、ヒロちゃんだけの貸し切りの夜なんてことも

2~3度経験したこともあります。

 

佐久市の支店で勤務して、転勤になるまで、ママさんと関わって来ましたが

佐久市から安曇野市へ転勤になる2~3ヶ月前にママはお店を辞めてしまい、

とある会社が経営する居酒屋スナックの雇われママさんになってしまったのです。

 

この会社の社長さんが、ママのお店の常連さんで、(自分は会ったことないです)
ママが信頼していた方のようで、色々悩みを聞いてもらっていたようです。

実は、ママさんがヒロちゃんに自分のお店を辞めた本当の理由を、こっそり教えてくれたのですが・・・
重い更年期障害が原因で、自分で商売することが本当に嫌になってしまったみたいです。お店の運営のこと、女の子たちの給料や家賃、その他諸々・・・

色々考えるのが嫌で、いっそ雇われの身になって気軽に生きて行きたい、

そんな希望からお店をたたんだようです。

 

佐久市・中込にお店があってヒロちゃんの住んでいた独身寮から歩いて行ける

距離だったのが、今度のお店は隣町になってしまい、電車に乗って移動しないと

行けないところになってしまいました・・・

 

前みたいに、毎日行けるようなところではないので、ママが新しいお店に

移ってからは月に1~2回行ければいい回数になってしまい・・・

とても寂しい思いをしたものです。

 

 

と・・・・

えらく話が脱線しましたが、ママのお店で出会った貴重な人脈の話に

やっと入れるのですが、一人のみを長くしていて、出会ったお客様の中に

ヒロちゃんの支店の主要取引先である土建屋さんの社長も常連さんだったのです。

 

ママのお店で社長さんたちと仲良くなってしまい、仕事を抜きにしてママの

ファンと言うつながりで一緒にお酒を飲める間柄まで発展しました。

 

支店の融資課長が担当していた2社と、自分が担当していた1社、具体的には

木⚫建工社長

小⚫組社長

佐⚫組社長

守秘義務のため伏せ字にしてますwww)

この3人はママのお店で月1回無尽をやっていたみたいで

3回ほどその無尽の会の現場にお店で出くわした事がありました。

 

佐⚫組が自分の担当だったので、佐⚫社長がお店にいるのにびっくりして

ままにこそっと聞くと、いつも3人で月1回集まって飲んでいるということを

教えてもらい、木⚫社長と、小⚫社長に自分を紹介してくれました。

初めての時は名刺交換しただけで終わりましたが、2回目に出くわした時は

「あ!!またヒロちゃんがいるじゃないか!!」

と言われ席に混ぜてもらう事になりました。

 

何か歌を歌え!!とリクエストされたので、ヒロちゃんの得意な

中島みゆきの歌を数曲熱唱。

 

中でも「ヘッドライト・テールライト

youtu.be

 

これを歌ったら、小⚫組の社長に痛く感動され、

「俺の人生の応援歌をこんなにうまく歌うんか!!!」

と超褒められたのをよく覚えています。

 

その後、何回か3人と一緒させてもらった事があるのですが

いつも小⚫社長は、「ヒロちゃんヘッドライト歌え~~」とけしかけ

何故かヒロちゃんの歌声に聞き入ってくれました。

 

で、佐久市から転勤となった2003年の新年に、この3人の社長たちが

いつもママのお店で行っている新年会にヒロちゃんもよばれるという

光栄な機会を頂くことができました!!

 

2003年1月4日、ヒロちゃんは仕事はじめで出勤していましたが

3社長からのお招きがあるということで、定時で退社し電車に乗って

佐久平駅のママのお店に直行しました。(このとき、支店長はなんで自分が呼ばれなくてヒロちゃんが行くんだととても驚き、そして羨ましがっていましたが・・・)

 

社長たちの毎年の恒例新年会は、1月4日に群馬県のゴルフ場で新年プレーを

楽しんだ後、ママのお店に行って打ち上げの飲み会をするのが恒例のようでした。

すでに宴席ははじまっていて、ヒロちゃんが到着した頃にはもう皆さん

いい感じで酔っ払っていて、新年の挨拶もそこそこに

「お~~ヒロちゃんよく来た!!早く座って飲め~~~」

と、いきなりジョニ黒の水割りを駆けつけ三杯飲まされ宴会が進んで行きました。

 

当然、小⚫組社長からは、「中島みゆき歌え~~」とまくしたてられ

ヘッドライト、地上の星と、ヒロちゃんの独演会になって行くのですがwww

新年早々の営業だったこともあり、お客さんはまばらで22時を回った頃は

ヒロちゃんたちの席しかお客さんがいなくなったので、ママも店を早仕舞いして

宴席に加わり、5人で飲むことに・・・・

 

宴会がお開きになったのは確か午前1時頃だったような気がします。

気づいたらジョニ黒ボトルが5本空いてました!!!

どう考えても一人1本は飲んだ計算です。これにはヒロちゃんも驚いてしまいましたが

確かに5本空いてたんです・・・・

おそらく、寮に帰り着いたのは午前2時。そして翌日仕事に行ったのですが・・・・

始業時間ギリギリに支店に着いたのはいいものの、いかんせん超具合悪い・・・・

 

もう、朝からひどい二日酔いで仕事になんかなりません!!!

水をペットボトル1リットル一気に飲んでも、どうにもならないので

自分が担当していた内科のクリニックに行って点滴を打ってもらうことになりました・・・

 

ひどい脱水状態になっていたので、30分掛けて生理的食塩水を500ml点滴されて

「トイレ行きたくなりましたか?」と聞かれても全然だめ。

さらに追加で1リットル近く点滴され、やっとトイレに行きたくなって、治療終わり。

約2時間ほど点滴を受けてお昼過ぎには動けるようになりました。

 

支店に戻り、食事が取れるだけ回復したので支店長に謝りに行くと、烈火のごとく

叱られるかと思いきや、「ヒロちゃん午後は仕事してもらうぞ」と言われ

自分の主要担当先へ支店長と共に新年の挨拶まわりにでかけました。

支店長、かなり多目に見ていたようです。

 

そして後日、商工会の新年会で3社長とお会いしましたが、ヒロちゃんの

ひどい二日酔いがもう耳に入っていたらしく、

「あの晩は、相当飲んだからな~~~、点滴したなんて驚きだ~~」

と言われてしまう始末。ますます可愛がられるようになりました。

 

しかし、悲しいかなママと社長たちとの別れがやってきました。

2003年2月1日付けで転勤が決まりました。

かねてから希望を出していた自宅から通勤できる支店への配属が

このタイミングでやっと実現したのですが・・・

ヒロちゃんの心境は複雑でした。

 

自宅から通勤できて、両親と一緒に暮らせる関心感とともに

(ヒロちゃんは就職してから11年間、独身寮暮らしをしてました)

せっかく仲良くなれた社長達や、今やどんな悩みや苦しい時に愚痴れる

本当に自分のお姉さんみたいだったママさんと会えなくなることに

少なからずものすごい喪失感を覚えたのです。

 

転勤の内示がてたのが1月25日頃で、それから一週間で引き継ぎの資料を作り

引っ越しの準備をしたりと超慌ただしくなりました。

5年間住んでた部屋の片付けはかなりの困難を極めました。

てか、片付けられなかったのです・・・・(忙しいのと面倒くさいのと)

明日、引っ越し業者が来て引っ越す前の晩に、ママのお店に行ってお別れの

宴会をしてきました。

 

本当にお世話になりましたと、感謝の言葉しか出なくて、

泣けて来たのが印象に残っています。

「お前はホント手のかかる弟みたいなモンだったね!!」

と、言われた時は本当に涙が流れてしまいました。

 

 

飲んで帰った後、結局荷物の梱包が間に合わなくて、独身寮の

仲間(後輩たち)に手伝ってもらいながら・・・・

「ヒロちゃん先輩!!まだ荷物できてないんですか!!!
手伝いますから早く作業してください!!!」

 

手当たりしだい、部屋にあるものをダンボール箱に放り込み梱包して

引っ越し屋さんのトラックに積み込む・・

3人の後輩に手伝ってもらい荷物をトラックに積み込むことができました・・

当然、手伝ってもらった後輩達にはファミレスに連れて行ってお昼ごはんを

奢ってやりました。ヒロちゃんもこういう危機的な時に救いの手を差し伸べて

くれる人がいるんだと、とても感謝した記憶があります。

寮で最古参だったし(5年間住んでいたのはヒロちゃんだけでした)

皆と別け隔てなく気さくに話していたからだと思います。

我ながらこうやって自分の事気にかけてくれる人脈に恵まれたのは

自分の日頃の行動からだと実感した次第です。

 

ママさんをはじめとして、

3人の社長さん、

独身寮での仲間(後輩たち)、

様々なヒロちゃんにとって貴重な人脈だったのですが、転勤とともに

その後すべて疎遠になってしまいました。

 

特に2008年で銀行を退職した後は、全ての人脈が切れてしまい

今はみんなどうしているのかわからない状態です。

 

今となっては本当に残念なのですが、佐久のママさんだけは今どうしてるのか

元気にしているのか知りたいところです!!
ママさんがいつも言っていたのは年をとったら小さな蕎麦屋でもやって

のんきに暮らしたいということでした。

 

ママさんが本当にそういう悠々自適な生活してるのか、訪ねてみたいな~~

って気になって来ました。

 

佐久市で過した5年間はヒロちゃんの人生にとってとても貴重な学びを

与えてくれた5年間でした。出会う人すべてがとても素晴らしい方々ばかりで

ヒロちゃんの人間性を大きく育ててくれた恩人ばかりです。

職場の人々はもちろん、

取引先のお客様に一番刺激をもらって成長できました。

 

そして、一番の恩人がママさんです!!!

公私に渡って一番ヒロちゃんをサポートしてくれたのがママさんでした。

 

「お姉さん」みたいだったママさん、会いに行ってみたいですね~~

今実は密かに行動しようと仕込み中です。

ママさんに再会できたら、また記事にしますね~~~

乞うご期待あれ!!!