仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

スナック・キャバクラでの一人飲みが終焉!!まじめなヒロちゃん?

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終わり

真夜中に失礼します~~~ヒロちゃんです!!

 

前の記事で、スナック・キャバクラで放蕩三昧のヒロちゃんでしたが、

 

dorachan07.hatenablog.com

 

とうとう、このような浪費生活にピリオドが打たれる事になりました。

今回はこのあたりを綴って行きます。

 

ヒロちゃんが通っていたスナック、

「チビ」

「ニューヨーク」

キャバ嬢の「あやちゃん」がその後どうなって行ったかを

お伝えしなければなりません!!!

 

前の記事にも書きましたが、チビママとニューヨークのママ、ほたるは

友人でした。しかし、二人のその後は全く異なる結末を迎えます。

 

ニューヨークを裏町のビルの一角で復活させたほたるでしたが、

商売は上手く行かなかったのです。

ほたるの家庭の事情もあって、お店が営業してるのがまばらになったのでした。

ほたるの常連さんが利用していた店ですが、行きたい時に開いてない状態が

多くなって行ったので、当然お客が来なくなります。

こうなると、商売上がったりになってしまい、とうとうお店の水光費を

延滞するようになっていったのです。

 

たまに気になってニューヨークの前まで行ってみましたが、営業してなく

水道費や電気代の督促状が店のポストに散乱している始末・・・

オープンから1年後には事実上、廃業状態になりました・・・

その後、ほたるはどうしたのか??ヒロちゃんにも消息は不明です。

 

方や、チビママはどうなかったというと・・・

やはりチビもお客の入りが悪くなり、その時のお店の家賃が負担になっていたようです。ママは思い切ってお店を移転させました。

実はチビママ、雇われママさんだったのです!!

出資者が別にいて、箱だけは用意するから後は好きにやって、上がりの何割を頂戴ね、という契約だったようです。

 

家賃負担がもっと少なくなるこじんまりしたお店に引っ越しました。

今度はカウンターが主になり、テーブル席は2つだけ。

ママと、女の子二人だけで回せるように規模を縮小させました。

ちょうど、ヒロちゃんが佐久のスナックに通っていた時と同じ規模になったのです。

 

この大きさになると、以前よりママとの距離がぐっと近くなり、また、以前よりも

お店も混まないこと、ほたるの店が閉店状態になって行くところが減ったので

チビママとより親密な関係になって行ったのです。

相変わらず、テーブルチャージは毎回4,000円取られるので、キープするお酒は

JINROだけです。ただし、ボーナス支給時だけはチビママにわがまま言って

ラフロイグや、ボウモアを入れてもらいました!!

正露丸を水で溶いたウイスキー飲んだことある??」っていう話題から

ラフロイグ仕入れてもらい、チビママと女の子と一緒に飲んで見たのです。

ヒロちゃんの大好きなウイスキーでいたが、チビママ、女の子の反応はやはり

「こんなの飲めるか~~~」でした。

 

この頃は酒の量販店でも1本3,000円以上はいしていたラフロイグなので

チビママのお店でのキープ代は1万円!!!超高いお酒でした。

 

また、仕事帰りでろくな夕食も食べず、いきなりチビママのお店に行くので

(普通は居酒屋さんとかに寄った後の二次会で利用するのですが・・)

お酒が進むとどうしてもお腹が空いてしまいます・・

 

スナックでラーメンの出前を頼むというのも、このお店に来てから初めての

体験でした。その、出前ラーメンが超うまい!!

 

現在でも、松本市の裏町には2軒ラーメン屋さんがあります。

一軒は店主がコロコロ変わるが営業し続けている「ラーメンQ」

もう一軒は、前の店主の甥っ子さんが店を引き継いで先代からの

店の味を守り続けている「招福」です。

 

ヒロちゃんは招福が大好きでした。

職人気質の親父さんが作る味噌ラーメンと、手作りチャーシューは

それはもう呑兵衛にはたまらない究極のラーメンでした。

お店は超汚い(笑)のですが・・お店に行くと、メニューで餃子や

チャーハンが食べられるので、平日でも深夜になると結構盛っていました。

親父さんが年をとってしまい、深夜の営業が体に堪えるとのことで引退し

代わりに、甥っ子さん夫婦が店を継いだようです。

 

 

おっと、話が脱線しましたが、移転した「チビ」にその後ヒロちゃんは

「チビ」が閉店するまで通うことになりました。

2006年の時期は忘れましたが、「チビ」が移転しました。

移転後、週に最低でも1回は顔を出す飲み生活が続いていました。

店の規模を縮小した結果、チビママのことが大好きなファンが集う

隠れ家的なスナックに生まれ変わり、とても居心地がいいお店になりました。

 

ビジネス的には大儲けはできなくても、経費や出資者へのロイヤリティを

払っても、チビママの取り分がシングルマザー家計を支えるのに十分な収入を

得られる規模で回っていたようです。

 

チビママファンの集いの究極が、2006年の大晦日でした。

2007年への新年カウントダウンをお店で祝うとということで、

チビに通う濃いお客さんが数人集まり、2007年の新年祝をお店で

やったことが今でも印象に残っています!!

 

除夜の鐘を聞きながら、ヒロちゃんが差し入れたヒロちゃんの叔父さんが

営んでいる蕎麦屋さんから買って来た年越しそばを振る舞われながら

2時ぐらいまで騒いでいたのをよく覚えています。

 

その後・・・・・

2007年、2008年はヒロちゃんの人生に大きな転機を与えた年に

なっているのですが、詳細はまた別の記事で紹介します。

2007年の4月1日つけでヒロちゃんは自宅通勤出来る支店から

今度は新潟県上越市の支店に転勤になるのです!!

転勤して、チビママや、キャバクラのあやちゃん通いが終わったかというと・・

そうではなかったのです。

初めての県外勤務、長野県とは違った環境にかなりの違和感を覚えたヒロちゃんは

新潟勤務に全く慣れなかったのでした。

 

独身寮は高田市にあったのですが、今度は片道40分掛けて

イカーで通勤する環境になりました。

当然、寮に帰らなければお酒は飲めないので、高田市での

新規開拓に出る余裕もありません・・・紹介してくれる人と出会えなかったという

こともあったと思いますが、高田市で飲み屋に行ったという機会は数えるしか

経験しませんでした。

 

その代わり、金曜日の夜は仕事が終わると、松本の実家に帰ってから簡単な

夕食を食べたあと、チビママのお店に行っては2時位まで飲んでいる・・・

そんな変な生活を2007年の11月まで続けることになったのです!!

 

この11月というのが、「チビ」が閉店した月でもあったからでした。

チビママ、かねてから交際していた男性と再婚し妊娠したからでした。

夜の仕事から足を洗うということで、2007年11月で「チビ」は

閉店してしまったのです・・・

 

それ以降、ヒロちゃんが仕事のストレスを発散させる場所が無くなってしまい、

だんだん精神的に追い込まれるようになります。

新潟の支店では、なんだか自分以外の人間が全員敵みたいな人間関係に

陥ってしまいました。一番ひどかったのが直属の営業課長で、自分の身の

保全のために、ヒロちゃんの行動をいちいちチェックし、重箱の角をつつく

ような細かいことも管理するようになって行きました。

 

ヒロちゃんのミスを自分がかぶらないように、ヒロちゃんを徹底管理し

その上で毎日営業実績をあげるように監視してきました。

更に良くなかったことは、その他の支店の人たちも、ヒロちゃんを

要危険人物みたいな色眼鏡で見るようになって行ったのです。

それまで培って来た営業スタイルや事務の処理の仕方まで完全否定され

だんだん、ヒロちゃんは自分の居場所を失って行き、仕事上で困った事が

起こっても相談する相手がいない状態になって行きました。

 

さらに追い打ちをかけたのが、新潟の冬の気候でした。雪との戦いです!!

高田市も豪雪地帯なのですが、今まで経験したことのない雪質に大いに

悩まさえれる事に疲弊していきました・・

長野県の雪と違い、高田の雪は湿気を多く含んだ重たい雪が一晩で

30センチ以上毎日積もるのです。

 

通勤のために雪に埋もれた車を掘り出すのですが、何しろ雪が重たい。

スコップで周りの雪をかき出して車の雪を落としてゆくのですが

なかなか雪が落ちない。こんな格闘を毎朝10分以上はしないと出発できない

毎日を送っていたのですが・・・たった一月で疲れ果ててしまいました。

 

2008年の年始は何を思ったか、1月2日に高田の独身寮に戻っていたのです。

その時の心境は、3日の日は1日何もしないでゆっくり過したいと結構切羽

詰まったものがあったように記憶しています。

4日から仕事初め。相変わらず降る新潟特有の雪に悩まされながら、2008年の

営業を開始しますが・・・

だんだん直属の営業課長との人間関係が悪化の一途をたどって行きました。

 

それで、上司のある一言がヒロちゃんの心に「もう限界!!!」と言わせる

ようになり、ヒロちゃんは自分を守るために衝動的にこんな行動をとったのです。

 

その行動とは、銀行本部の健康管理室にメールを打つというものでした。

ヒロちゃんが上司との軋轢の中でどうすれば自分が嫌な思いをしないで済むか・・

その時取った行動が、現状の放棄だったのです。

 

この、健康管理室にメールを打つという行動が、その後どういう結果になるのか

ある程度は予想した上でのものでした。なにしろもう限界だったので、藁を掴む

気持ちで衝動的だったとはいえ、ある意味計画的な行動でした。

 

 

健康管理室に送ったメールというのは、たったの一行、

 

「自殺したいです。苦しまずに確実に死ねる方法を教えて下さい」

 

と、一行だけ送ったのです。

 

 

今でも残っているのですが、2008年の手帳にしっかり書いてありました。

「2008年1月26日、健康管理室にメール」

この日、営業課の朝礼で営業課長がヒロちゃんに言った一言が行動を実行する

導火線になりました。もうこれ以上、我慢してこの人の言う事を聞くことが

我慢できなくなったヒロちゃんは、その日の約束していた訪問先に出かける前に

先程のメールを健康管理室に送り、アポを取った訪問先に出かけました。

 

午前の訪問先を回った後、昼に支店に戻った時のヒロちゃんは、変な意味で

ワクワクしていました。メールの反応がどうなったのか期待していたところ・・

 

昼食の時は何も起こりませんでした。

で、午後の訪問先に出かけ、午後3時に戻った時、支店の中は一種異様でした。

 

戻った途端に支店長がヒロちゃんに詰め寄り、

「これからまだ訪問する先あるのか??」と聞くのです。

 

「預かった通帳を返却するためにもう一件訪問しないと・・・」

と、ゴニョゴニョ言っていると、

支店長が「俺が一緒についていくから、早く済ませよう」

という始末・・・

 

これで、健康管理室に送ったメールの反応がどうなったのか、やっと

わかった始末です。ヒロちゃんは健康管理室預かりの身になって

その日の業務終了とともに、実家に護送されました。

 

長野市の健康管理室から看護師さんが、高田まで飛んできてくれていました。

メールを見たのが遅かったみたいで、スケジュールの調整に手間がかかり

具体的な応対が午後にずれ込んだみたいでした。

 

通帳返却のために、同行した支店長は訪問が済んだ帰りの道すがら

「ここで車を止めて」と道の駅に立ち寄りました。

缶コーヒー片手に、ヒロちゃんからの事情聴取がはじまりました。

 

ヒロちゃんも、今の仕事がうまく行ってないこと、直属の上司と反りが合わない事、

銀行に未報告の借金があって返済に困っていること・・

この際洗いざらい悩みをすべて吐き出しました。

 

その後、支店に戻り、看護師さんと面談。とにかく自宅に戻って休むことと

精神科を受診することを指示され、看護師さん付添のもと長野市まで電車で

移動しました。長野駅に父が迎えに来ていて、父の付添のもと自宅に戻りました。

翌日、松本市相澤病院心療内科を受診することになり、現在も治療は

続いています・・・・・

 

これで、ヒロちゃんの10数年に及んだスナック・キャバクラでの一人飲み三昧生活に

終止符が打たることになりました。

休職中は不思議なことに、ほとんどお酒を口にしなかったのです。

唯一、キャバ嬢あやちゃんだけはメールで連絡をとっていて、休職中でも

月一回の指名が欲しかったあやちゃんのお願いが断りきれずに、開店直後の早い時間にワンセットだけ月1回顔を出す事を1年近く続けていました。

 

ヒロちゃんは、2008年の8月を持って銀行を退職し、9月から現在の旅館で働くことに

なるのですが、転職した最初の1~2年間は、本当に給料が少なかったので、この月一回

5,000円のキャバクラ代金を支払うのが困難でした。(その前の遊び呆けていたときには考えられないほど貧乏・・・)

あやちゃんとは実は、キャバ嬢と馴染みの客の関係より、もっと深い中になりかけて

いたのですが・・・ヒロちゃんの懐具合の悪さや、あやちゃんがとうとう昼夜通しての

ダブルワークで体を壊してしまい、実家に帰ってしまったことからメールでの連絡も

絶えてしまい、今は音信不通です・・・・

 

あやちゃんとの関係も切れたときには、旅館の仕事も本格的になってきて、職場の

寮に泊まり込むことになったので、これで本当に一人で夜の街で飲む生活が完全に 

終焉しました。今は半年の間に1~2回、職場の仲間で飲みに行く機会があるかどうかの

生活ぶりです。

 

家や寮での晩酌は欠かさないので、毎月お酒にかかる費用は1万円弱でしょうか??
でも、スナック・キャバクラで放蕩三昧だった頃にくらべるとかなり真面目に

なったヒロちゃんでしょ??

夜のお店にもかなり疎くなったので、たまに飲みに行くと何処に行けばいいのか

わからいような状態です。外でお酒を飲むお金に余裕もない状態なので、もっぱら

ブラックニッカをちびちび飲みながらyoutubeで動画鑑賞するのが唯一の楽しみです。

 

こんな状態になったヒロちゃんですが、今でも一軒だけ一人で飲みに行ける

居酒屋さんが長野市にあります。

去年の6月に久しぶりに行って来たのですが、ヒロちゃんが社会人になって

初めて行った居酒屋さんでその後ず~~と機会があれば顔を出す居酒屋さん。

次の記事ではこの居酒屋さんの思い出を記事にしますね~~