仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

長野市「居酒屋いろり」かわら焼きが名物の行きつけ居酒屋!

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吉田類

 

お晩でやんす~~~~ヒロちゃんです!!!

 

吉田類さんの「酒場放浪記」という番組ご存知ですか??

酒場放浪記で長野県のお店が5店舗紹介されていますが、その中の2店舗

長野市「いろり」、松本市「とり八」はヒロちゃんにゆかりがあるお店です。

 

2店とも取材当時の店主はもうお亡くなりになっています・・・

さらに悪いことに「とり八」は店主がお亡くなりになり廃業してしまいました・・・

 

でも、長野市の「いろり」は、店主の息子さんがしっかり後を継いで今でも

元気に営業しています!!

「いろり」はヒロちゃんにとってとても思い入れが強いお店なので、

今回紹介させていただきます。

 

長野市西鶴賀で営業している「いろり」ですが、店主であった降旗さんは

店を構える前は山梨県の富士急ホテルのフレンチシェフだったのです。

昔良く聞いた自慢話に、東京オリンピックの選手村のシェフとしてホテルを

代表して派遣された事を何回も聞かされました。

当時、東京オリンピックは日本の戦後復興と国際社会に日本の底力を見せつける

国威発揚の一大イベントとして国家総動員で取り組んだ大イベントだったようです。

その中でも選手村のレストランで提供される食事については、それはもうとてつもない

力が力が注がれ、世界中から集った選手たちに最高のパフォーマンスを発揮してもらうために、日本中のありとあらゆる方面から腕の立つ一流シェフが集結したらしいです。

 

この記事に書かれていますが、

www.nikkansports.com

 

マスターも富士急ホテルのフレンチシェフとして代表して派遣された306人の中に入っていたのです。

村上信夫総料理長の話は何度も聞かされました。とても腕の立つ人なんだが、同時にとても優しい人だった、下々まで気配りを絶やさず褒めて人を使う人だったとマスターは語っていました。

 

フレンチシェフであった降旗さんが何故長野市に来て居酒屋をはじめたのかは、以下の記事に書かれているので読んでください。

 

nagano-citypromotion.com

 

「いろり」とのお付き合いは、ヒロちゃんが大学卒業し初めて配属された長野市時代から始まっています。1993年4月に銀行員になって長野市内の支店に配属されました。

はじめの半年間は本当にわけも分からず、「仕事をする」ということに慣れる毎日が

続いていて、仕事終わりに飲みに行くなんて余裕は全くありませんでした。

仕事が終わったらまっすぐ独身寮に帰って、缶ビール1本だけ飲んで11時には寝るという生活を送りながら仕事に慣れることを優先していました・・・

 

毎朝6時に起きるなんて、学生時代には考えられなかったので本当にこの習慣に慣れるために半年間かかりました・・・

金曜人の夜だけ、独身寮でちょっと深酒するという、今となっては本当に初々しい生活を送っていましたが、秋ぐらいになってくるとその習慣が馴染んできて、だんだん仕事終わりのお酒が楽しみになって来ました。

 

そんな秋のある日、ヒロちゃんの直属の課長に、「いろり」という居酒屋さんが西鶴賀にあるのですが知ってますか?と尋ねました。

課長はかなりのお酒好きで、長野市の夜の街情報に明るい方でした。

「知ってる、連れてってあげようか??」と言われ、1993年の秋に「いろり」に初訪問したのです。それからお付き合いがはじまりました。

 

ヒロちゃんが「いろり」を知ったきかけは、亡くなったばあちゃんの一言でした。

ヒロちゃんが長野市に住んでいる事を知ったばあちゃんは、

「ヒロ、喜久の店には行ったことあるか?」と聞いて来たのです。

 

喜久=喜久夫は、マスターの名前です。

実は「いろり」の店主降旗さんは、ばあちゃんの甥っ子さんだったのです。

ばあちゃんの妹の息子さんがいろりのマスターで、ヒロちゃんが長野市に赴任したので

こう聞いてきたのです。

 

マスターの実家は、松本市の和田というところにあります。

酪農と農業を営む専業農家がマスターの実家で、農家を営むため高校は農業専門の

南安曇農業高校にマスターは進学しました。当然家の農業を継ぐため勉強が必要だったからです。しかしこの高校生時代にマスターは家業とは全く違う料理人になるという

決断をした経験があったようです。

 

その、きっかけというのが、今ヒロちゃんが働いている温泉旅館にマスターが

夏休みや正月休みのときに手伝いとして働いていたからだったそうです。

マスターのお母さんの実家である温泉旅館に手伝いに来いと誘ったのはヒロちゃんの

ばあちゃんだったようです。

マスターは厨房で料理長から料理の下ごしらえの仕事を手伝っているうちに、料理人になりたいと本気なって奮起し、高校卒業後は家を飛び出して、料理人の道に進んだようです。

山梨県の富士急ホテルを代表するフレンチシェフまで腕を上げたマスターが、何故長野市に来たのかは詳細までは聞いていませんが、長野市でお店を構えるようになったのが

「いろり」なのです。

 

初めて「いろり」の暖簾をくぐり、沢渡の金多屋新宅の孫ですと名乗った時の

マスターの驚きの顔は今でも鮮明に覚えています。

とても懐かしく思ってくれたのか、暖かく向かいれていただきました。

 

「そうすると、ヒロちゃんは敏兄さんの息子か?」と聞かれ、そうですと答えた時のマスターは遠い過去を振り返っているようでした。

敏=ヒロちゃんの父とマスターは従兄弟ですよね。

子供のころは交流があったようですが、お互い大人になってからはご無沙汰していたようで、不意のヒロちゃんの訪問は懐かしい故郷の思い出を鮮明に蘇らすきっかけになったみたいでした。

 

ヒロちゃんもお店に入って、一番最初に目に止まったのが初夏の田んぼの上に

見事にそそり立つ常念岳の写真でした。

安曇野の田園風景のバックにそびえ立つ常念岳。空は雲ひとつない快晴の青空で

常念岳の雪型が見事に映えるそれは素晴らしく、ヒロちゃんの故郷である松本平を象徴する見事な1枚でした。

北信地域は初めての土地で、見える風景が松本平と全く違う事に数ヶ月悩んでいたヒロちゃんにとってこの写真はとても印象に残るものでした。

今でもこの写真は店内に飾られていますが、マスターにとっても故郷を思い出す大事な一枚に違いなかったと思います。

 

こうして、「いろり」に出会ったヒロちゃん、毎週金曜日の夜はお店にいって

一人で飲む習慣がはじまりました。社会人1年目で半年仕事を経験しただけの若造が何を気取って行きつけを作っているねん!!!って言うツッコミはしないでくださいねwwww

ヒロちゃんも若干23歳で行きつけの居酒屋さんで毎週飲むなんて、なんてオッサン化してるんだと思うかも知れませんが、学生時代から晩酌欠かせなかったヒロちゃん、

やはり話し相手がいて飲むお酒は楽しい一時でした。

 

「いろり」は小さなお店です。

カウンター席に5人ほど。テーブル席が3つ。あと、奥に座敷席があってそこに詰め込めば10人ほどという規模のお店でした。

ヒロちゃんはいつもカウンター席の入り口に近い一番隅っこが定位置になっていて、

そこに座りお店自慢の四季の旬な食材を使った一品料理をツマミに飲んでいました。

 

マスターと、ママさんとの何気ない日常会話。あと、カウンター席から向かって隅っこの方にテレビが置いてあって、マスターが忙しくて話できない時は、ぼーっとテレビを眺めながら飲んでいました。

 

更に、このお店は客筋が良かったのです。マスターの旬の食材を中心にした料理と名物かわら焼きを目当てに、ほぼ常連のお客が多かったと記憶しています。

それも、長野県庁職員を初めとした公務員、長野市の有力会社の課長職以上の方、あとマスコミ関係の方も多かったです。

特にSBC関連のご常連さんが多く、もう何十年も通っているという方たちばかりだったようです。マスターが県の保健所から委託を受けたきのこ鑑定員だったこともあり、

きのこのシーズンになるとマスターが出演してきのこの見分け方みたいな特集番組が毎年放送されていました。

 

カウンターで一人飲みしていると、たまたま隣に座ったお客さんと意気投合して

一緒に飲むなんて機会も結構ありました。その中にSBC関連のお客さんが多かったのですが、SBC子会社の電通の社長さんだったり、SBC下請けの制作会社の社長さんなど

様々な方と一緒にマスターの話を介して仲良くなった記憶があります。

それぞれ地位も立場もある方ばかりでしたが、「いろり」ファンと言うことだけで

とても親切にしてもらい、可愛がられた事を思い出します。

 

そんなこんなで、いろり通いを始めてから1年ぐらい経った頃からでしょうか、

マスターのお子さんが店を手伝うようになりました。

はじめは長女の久美さんがお店に立つようになりました。

 

看板娘がお店に立つようになったと、お客さんにはかなりの好評で、

久美さん目当てでお店に来るご常連も多くなりました。

久美さんとヒロちゃん、同い年でもあったので、結構話はあいました。

でも、ある日ヒロちゃんが超生意気な事を久美さんに言ったらしく(ヒロちゃんは酔っ払っていてあまり覚えてはいないんですが・・・)かなり怒らせてしまったことを今でもはっきり覚えています・・・

 

その後、久美さんはお店から遠のいて、家を出たと思いますが・・・その後

結婚が決まったとマスターから言われたこと覚えています!!

霞が関で働く国家公務員と結婚されて、旦那さんが信州の山やスキーが大好きなことから実家で同居するようになったそうです。新幹線で東京駅まで1時間半で行けるので

通勤範囲に入るらしいです。(自分では考えられない・・・・)

去年、マスターが亡くなって、お葬式に行けなかったので、ご自宅にお邪魔してお線香をあげさせていただきましたが、久美さんと20年ぶりに再会しました。

今では2人の息子さんの母として家庭を守りながら、お母さんの支えとしてしっかり家を守るお母さんのイメージでした。

二人の息子さんに「お母さんて怖い??」とそっと聞くと、
「怒られると超怖い~~~~」って即返事が帰って来たので笑ってしまいました!!

 

 

そして、いよいよマスターの長男がお店に入るようになりました。

健さんは東京でパティシエの修行をしていたらしいですが、マスターのお店を残していきたいという意を汲んで後継者としてお店を守る覚悟で戻って来たみたいです。

 

健さんがお店を手伝うようになったのが23年前。その時ヒロちゃんは26歳でした。

長野市の初任店最後の年に健さんと出会い、その後、長野市を離れても機会があるごとに「いろり」に行っては酒を飲んでました。

だんだん、健さんのお客もつくようになり、いままで置いてなかった九州の焼酎も扱うようになりました。これは、健さんの奥さんの影響。奥さんは九州の方で、実家から芋焼酎がたくさん送られて来るようなのです。

 また、客層も変わり、健さんの学生時代の仲間が沢山お店に訪れるようになりました。

若い人たちが来るようになったので、メニューにも変化が現れ若者向きのおつまみも

オーダーできるようになって行きました。

 

でも、お店の看板メニューは名物「かわら焼き」!!!

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かわら焼き

これを目当てに今でも、ディープな酒飲みがお店を訪れています。

 

どこで知ったか、かわら焼きを食べたいと、新規の県外のお客さんが訪れるれるのを何度も目撃しています。

長野市西鶴賀という場所は、権堂の繁華街から外れたいわば裏町的な所で、営業しているお店も何が知らの特徴を持ったお店が並んでいます。

万人受けするのではなく、各お店の個性を気に入ったいわばディープな呑兵衛が多く集まる飲み屋街なのですが、「いろり」もそこを代表する名店になったわけです。

お店の構えも内装も20数年前にヒロちゃんが初めて行ったままで、中身が進化した感じですかね~~~

 

でも、この「いろり」にも変化が訪れました。

マスターが健康を害して、人工心臓を埋める手術を受けたことからはじまりました。

実はヒロちゃん、銀行員を辞めたときから数年間は「いろり」に顔を出す事ができなかったのです。手取りで12~13万円しか稼げない時代を数年間経験していた時は、長野市まで行くお金が捻出できず、この期間「いろり」に行くことができませんでした。

 

その期間だったと思いますが、マスターが人工心臓を埋める手術をしたようです。

このことは、ヒロちゃんの親父が亡くなって、葬儀に「いろり」のマスターが駆けつけてくれた時に初めて知ることになります。

 

その後、温泉旅館のフロント係に係替えとなり、お給料が倍ぐらいもらえるようになったので、「いろり」に行く機会が訪れたのですが、もうそこにはマスターの姿はなくなっていました。体力が衰え、お店に立つことができないようになっていたようです。

そして悲しい事に、マスターは2018年の5月に亡くなってしまったのです。

 

風邪をこじらせてしまったことからがきっかけらしいですが、人工心臓を埋めてあるマスターの体に投与できる薬が限られていたようです。

有効な薬の投与ができないうちに、様々な合併症を併発してしまい、最後は肝臓を悪くしてしまったらしく、お亡くなりになりました。

享年76歳だったそうです。今の医学では早すぎる死だと思います。

 

昨年は、温泉療養指導士資格取得のために、長野市に出張する機会があったので、

昨年の6月講習の日に一泊し、ご葬儀には行けなかなったのですが、マスターのご位牌にお線香をあげることができました。

ご自宅を訪問し、お線香をあげあせていただきましたが、このとき同居していた

久美さんと十数年ぶりに再開することができました。

また、久美さんの息子さんと会話することもできて、その内容が、前出の

「お母さんって怖い??」だったのです。

 

ご自宅を訪問したあとは、今や長男夫婦が切り盛りする新生「いろり」でしこたま

飲んで来ました。健さんの奥さんがお店に立っていて、初めてお会いしたのですが

これがなかなか気が利くとても接客向きのいい方なのです。

背が高く、それでスリムな体型、顔も目鼻立ちがくっきりしていてとても美人!!!

これは新しいファンが沢山付きそうなママさんでした。

 

居合わせた電気工事関連の親父さんと意気投合してしまい、

「店に並んでいる日本酒、一杯ずつ全部飲むぞ」というのに付きあわらせてしまい

普段めったに飲まない冷酒をかなり飲んでしまい、ベロベロになって宿舎に帰ったのを覚えています・・・当然、翌日の講習は二日酔いで超きつい一日を過ごしました・・・

 

「いろり」が新しく代替わりした事がとてもうれしくて、ついつい飲み過ぎましたww

 

 去年の6月以降、「いろり」には行ってないのですが、この記事書いてたら、無性に行きたくなました。

名物「かわら焼き」は一人で行っても食べられるようなので、そう遠くない将来

十数年ぶりにかわら焼きを食べに行こうと計画しているヒロちゃんです!!

 

ぜひ皆さん、長野市の「いろり」ご贔屓にお願い致します!!

ヒロちゃんのブログ読んだと行って行っていただけたら、いいことあるかもです!!