仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

キャバクラの同伴を楽しみながらスナック通い!ダブル飲みで放蕩三昧!!

 

 

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同伴

 

今晩にゃんこ~~(=^・^=) シークァーサーサワーで晩酌中のヒロちゃんです♬

 

前回の記事で、スナックとキャバクラのダブル飲み通いをはじめたヒロちゃんの

様子を書きましたが・・・・・

 

dorachan07.hatenablog.com

 

なんでそんな強行飲みスタイルを続けたか、理由というか、言い訳というか

その辺りを綴って行きますね~~~

 

で、前回の記事で、ニューヨークのママ、ほたるから自分の友だちが裏町で

店をオープンさせたから行ってみて、と言われ、言われるままに行ってみたのが

きっかけとなりました。

 

ほたるのお店、あまり面白くなかったので、行っても月3回とか、そんな感じ

だったのですが、ほたるの友達のお店に行ったところ・・・

佐久市時代のスナック通いヒロちゃんが復活してしまったのです!!

 

そのお店の名前は「チビ」と言いました。

結構広いお店で、カウンターはあったのですが、ほとんど利用されることはなく

一人で飲みに行ってもテーブルに通されて、応対されていました。

 

ママ、バーテンさん、女の子が2人(多い時は3人)いて、ラウンジみたいな

お店だったと記憶しています。

お店を満タンにすれば、20人ぐらいは入れる規模だったような気がします。

 

で、ここのママさんにヒロちゃんはハマってしまったのです!!

年はホタルと同じ年、ヒロちゃんの3歳したです。

旦那とは離婚して、二人の子持ちのママでしたが、ヒロちゃんには太陽なような

人でした。明るくて、能天気。それでいて細かなことまで世話を焼いてくれる

なんか自分より年下なのに、お姉さんみたいなママさんでした(あ、これと同じ事

佐久のママさんのところでも書いたっけな~~~)

 

ママさんの他に、バイトの女の子が3人いて、交代で出勤していました。

ママと一緒に仕事していた女の子が一人(この子は美人で、固定客がついていたので

お店がオープンして半年ぐらいはこの子目当てのお客さんがたくさん来てました)

後は、水商売初めての女の子でしたが、なかなか気が利く子達でした。

 

お店が広く、女の子、バーテンさんもいて、そして何よりママさんの前の

店からのお客さんも沢山いて、はじめの頃はとにかく盛っていました。

こういう活気があるお店に行ったのは初めての経験だったので、思わずヒロちゃんは

この「チビ」が気に入ってしまい、一人で一日置きに通うことになったのです。

 

ちょうど、松本市の裏町という場所が、松本駅からヒロちゃんの自宅の中間点に

あったので、駅から歩いて15分。お店で寄り道をしてからまた20分かけて

歩いて帰る。そういう飲み方をしていました。駅前で飲んでいるよりかは

タクシー代浮くしね~~~

 

オープンしてから半年ぐらいは、とにかくお客のたくさんいるお店でした。

ママの常連さん、女の子のお馴染みさんなどが来店して、週末にもなれば

席がなくて、ほとんど使っていないカウンターで一人飲みしたことも数回。

また、お相手してくれるママや、女の子が忙しくて自分には手が回らず

放置プレーwww。見かねたバーテンさんが自分の席に来て一緒に飲んでくれた

こともありました。

 

でも、このお店もだんだん客足が少なくなっていき、暇な事が多くなって

行くのです・・・松本市の「裏町」という場所が、そもそも衰退の一途を

たどっていました。10年前は歓楽街で、それは盛っていたのですが・・・

駅からタクシー使わないと行けないという立地がもう現代受けしませんね。

客層も高齢化していき、昔の良き時代を知る人とその時のママたちの場所という

ことで若者が寄り付かなくなって、衰退していきました。

若者が来ない飲み屋街はいずれ衰退し、枯渇します。だって新規のお客さんが

来ないのですから、わかりきったことですよね。

 

お客が来ない⇒面白い店がなくなる⇒行っても面白くない

こういう負のスパイラルで裏町は今や風前の灯火みたいな街になっています。

 

「チビ」もその流れには逆らえず、最初の半年はママの馴染みのお客が沢山

来ていましたが、駅から遠い立地が災いしてだんだんそういうお客さんが来なく

なりました。もともと新規の若者が来店するなんてめったに無い街で

常連さんが離れて行くとお客が少なくなって行くんです。

 

そんな苦しい経営の中でしたが、チビママの明るさだけは衰えませんでした。

苦しい事を一切顔には出さず、来てくれるお客さんを持ち前の明るさと

気の利いたトークでいつももてなしていました。

 

そんな、明るく気の利くママさんや、ママをフォローする女の子の魅力に取りつかれ

いつしか、駅前のニューヨークには足が遠ざかることになります・・・

それでも、半月に1回は顔を出すようにしていましたが、「チビ」に通うようになって

数ヶ月経ったある時、駅前のニューヨークに事件が起きました!!!

ほたるいわく、「大家と店の利用の仕方がトラブルになって、営業できないようになった」とその時は言っていましたが・・・・(ヒロちゃんもほたるの言ってたこと信じていました)
後になってよくよく考えると、おそらく家賃が滞納していたのだと思います。

数ヶ月家賃が払えなくなっていたのだと考えられますが、とある月を最後に

ニューヨークは閉店してしまいました。

 

で、ほたるはどうなったかと言うと、なんとチビのママの店で働くようになったのです。ここは、チビママ、ほたる、友達同士で助け合った格好になりました。

 

ヒロちゃんにとっては好都合で、二人のママが同じ店に居るのでお店を分けて通う事が

なくなったので、しばらく「チビ」だけに集中して通うことになりました。

 

二人のママさんの手玉に取られるかの如く、お店に通ったヒロちゃん、そのうち

ほたるから、同伴出勤させて!!ってお願いされてしまい、同伴を経験するのです!!

 

松本駅からタクシーで15分ほどの、いわゆる山の手の住宅街に一軒営業している

ステーキ屋さんに同伴しました。(店を選んだのはヒロちゃんですww)

夜は松本市街の夜景を一望できるこのステーキ屋さん、実は昔は裏町で営業していた

ステーキ屋さんです。ヒロちゃんが高校生まで、父親が家族全員で半年に1回は

連れて行って行ってくれたお店です。

 

カウンター席に座り、シェフが目の前で肉を焼いてくれたものを頂くという

なんとも贅沢なディナーを楽しんだ後に、お店に移動。

お店で今度は焼酎で酔っ払うという実に派手な一日を過ごしました・・・

 

ほたると同伴したのを見かねて、チビママが「今度は私も連れてって!!」

という始末・・・数週間後に、今度はチビママと同伴しましたwwwwwww

でも、チビママ、そこはやはりできた人で、ヒロちゃんがあまりお金持っていない

事をしっかり見抜いていて「贅沢しないでいいよ~~、ここ行こう!!」

って、ママが決めたお店は、最近オープンしたジンギスカンのお店でした。

ジンギスカンつつきながら、ほろ酔いになったところで、お店に移動。

チビママは、他のご常連さんの席に行っていました。

 

どうも、チビママにとってほたるに店をかき回されるのが面白くなかったようです。

友だちといっても、そこはママと従業員の関係。ここをしっかり区別させたいと

チビママは思っていたようです。ほたるが休みの時にお店に行くと、最近の

ほたるの振る舞いが気に入らない、どっちがママなのかわからないような勝手なことを

すると、愚痴をこぼした事がありました。

 

それで、この困った“ダブルママ??”の状態はそんなに長くは続きませんでした。

というのも、やはりほたるが雇われで自分が好きなようにできないことを窮屈に

感じたか?はたまた時間稼ぎの雇われだったのかは定かではありませんが、

ほたるはスポンサーの好意により、また自分のお店をオープンさせる事になったのです!!場所は同じ裏町。スポンサーは地元で老舗の鮮魚店が所有するビルの一角に

「ニューヨーク」が復活しました。

 

「うおちょう」ビルの3階に新生「ニューヨーク」がオープンしました。

ビルの横に掲げている看板には、ベタに“自由の女神”が描かれて・・・

ほたるがお出してから数週間したある時、チビママがヒロちゃんに

「一体どんなお店なのか、行って見て、感想聞かせてよ!!」

とけしかけるのです。

 

ヒロちゃんもほたるの事気になっていたので、新生「ニューヨーク」に顔を

出してみました。
お店は、駅前にあったときの半分以下の広さ。

カウンターと、奥にボックス席があって、10人も入れば満席になるぐらいの

規模でした。ほたるが一人で切り盛りしていたので、ちょうどいい

広さだったと思います。

 

狭いけど、白を基調とした店内は、駅前のときのような暗さは感じられず

とても明るく、清潔なイメージを受けました。

オープンして数ヶ月は、馴染みのお客さんが通っていたので、そこそこ

繁盛していましたが・・・・・

客足の悪さと、ほたるの家庭の事情でだんだん衰退していき・・・

店をオープンさせてから1年後には、事実上クローズ状態になってしまいました。

 

一番の原因は、ほたるの家庭の事情なんですが・・・あまりプライベートな

事は書きたくないので詳細は書きませんが、家庭の様々な事情が重なって

お店が閉まっている日が多くなって行ったのです。

定休日以外でもお店が閉まっていて、馴染みのお客さんが来ても営業していない。

営業していないのでどんどんなじみ客が減っていく・・・

そういう負のスパイラルに入ってしまった「ニューヨーク」

1年後には事実上廃業に追い込まれてしまいました・・・

ほたるはその後どうしたかと言うと・・・ヒロちゃんにも消息は不明です。

 

で、やっとここまで書いて、タイトルにあるスナックとキャバクラの

ダブル飲みをするようになったことに触れることにします!!!
引張過ぎました・・・・ごめんなさいwww

 

キャバクラデビューしたきっかけは、この記事で紹介しました。

 

dorachan07.hatenablog.com

 

お気に入りのキャバ嬢「あやちゃん」と結構長く付き合っていました。

指名するのはいつもあやちゃん。

 こんなひと回り近く年が下のキャバ嬢にすっかり魅せられてしまいました。

 

何故か・・・

キャバ嬢によくありがちな“営業”を一切しなかったからです。

ヒロちゃんの隣に座り、ヒロちゃんのくだらない話や、仕事の愚痴を

うなずきながら聞いてくれ、また、あやちゃんと語るどうでもいい話が

ヒロちゃんにとってはとても心地よいものだったからです。

 

あやちゃん、目がくりくりしていて、細長の顔。

まさにこんな感じ

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背が高くて(あやちゃんがヒール履くとヒロちゃんより背が高いww)

すらっとしったスリムなシルエットが、キャバドレスにとても映える素敵な姿。

お店の中では結構目立つスタイルの子なのに・・・・

頻繁に指名がつく子ではなかったようです。

 

いつも指名のキャバ嬢のヘルプに回っているだけのあまり目立たない子

それが現実のあやちゃんでした。

でも、話をしているととても相手の事を思いやり、自分の関心事と相手の

興味を合わせる事ができ機転の効く会話をする頭のいい子でした。

また、ぱっと見のスタイルもすごく目立つので、ヒロちゃんはあやちゃんを

お気に入りにしてしまったのです。

 

スナックと、キャバクラの最大の違いはカウンターの存在と、前の記事でも

書きましたが、まさにこのカウンターの存在で、ヒロちゃんはキャバクラと

スナックを使い分けていました。

 

同じ一人飲みをする時にキャバクラとスナック、どちらがコストパフォーマンスが

高いか、真剣に検討しかことがあります。

というのも、松本市の飲み屋は総じてコストが高いのです。

スナックのテーブルチャージが4,000円、つまり座っただけで4千円取られますが・・・

何時間座っていても、酒さえ飲まなければそれ以上はかかりません。

 

方やキャバクラ、2~3時間いれば2万円は飛んでいったのですが・・・

お酒は飲み放題(でも超安い悪いお酒・・・)

 

パ~~っと短時間で思いっきり飲みたい時はキャバクラ、

ねちねちママを相手に愚痴りながらちびちび自分のボトルで飲むなら

スナック・・・そんな使い分けを覚えたのです。

(でも、酒に浪費しているっていうツッコミだけはしないでね・・・)

 

そんなこんなで、キャバ嬢あやちゃんともすっかり打ち解けたヒロちゃんですが

営業ベタなあやちゃんは、「今月売上足りないから、同伴して!!」

と、ヒロちゃんに訴えるようになりました。

初めて聞いたあやちゃんからの営業トークに、いてもたってもいられなくなった

ヒロちゃんは即OKの返事をしてしまうのです。

恐らく、こんなお願い営業していたのはヒロちゃんだけだっと思います。

ヘルプについた他の席でも、本指名がなかなか取れなくて結構ヤバイ・・

そんな状態でも、あやちゃんはヒロちゃんの前だけは気丈に振る舞っていました。

そんなあやちゃんの振る舞いに益々熱を上げていったヒロちゃん。

月に1回の同伴が取れなかった時の隠し玉のようにヒロちゃんが同伴してました。

 

で、あやちゃん、まだ若いのにどうしてこんなにお水の商売に精通してるのか

疑問に思いましたが、あやちゃんからそのあたりを聞くことができました。

 

あやちゃん、高校卒業してすぐに、裏町のラウンジで働くようになったのです。

まだ、裏町が松本市の歓楽街で金回りのいいお客さんが沢山出入りする結構

高級ラウンジが裏町にあったのですが、そこのホステスとして働いていたようです。

ラウンジの女の子の従業員寮が裏町から遠くないところにあったようですが

あやちゃん、タクシーのワンメーターでいつも帰っていたようですww

(あやちゃん曰く、酔って歩くのが面倒だったから・・・)

 

このエピソード聞いて、納得が行ったような気がします。

金回りのいいオッサンたちが出入りする高級ラウンジなので

そんなにあくせく営業しなくても、あやちゃんは結構人気があったと思います。

なんせ可愛いからwww

スケベなオッサンたちにちやほやされながら指名取ってたと想像できます。

 

そんなあやちゃんの夜の仕事は長続きせず・・・この高級ラウンジも客足の

減少で閉店してしまうのです。

いったん夜の仕事から足を洗ったあやちゃんですが、正社員として安定した

昼間の仕事につけなくて、アルバイトみたいな形で働いたらしいですが

それだけでは生活できず、今度は昼・夜のダブルワークをはじめたそうです。

 

で、このあやちゃんの事を、どんなきっかけだったかは忘れましたが

ほたるの店で話したのですが・・・

ほたるが「その子、自分と一緒に仕事をしていた梓って子だわ!!」

というのです。

 

なんと、ほたると、あやちゃん、裏町の高級ラウンジに一緒にいたようなのです。

ほたるの事をあやちゃんに話すと、「よく覚えている」とのこと。

それじゃ、一回一緒にほたるの店に行って見ない?ということになり、

ほたると、あやちゃんの数年ぶりの対面が実現したのですが・・・・・

 

あやちゃん、ほたるの店に入るなり、「早く帰ろう」といい出す始末。

なんか、面白くなかったようでした。

「このお店つまんない」と何度も言って、本当に早く帰りたいそぶり。

ほたるの事、本当は会いたくない過去の人だったようでした。

また、お店の辛気臭いのも気に入らなかったらしく、あやちゃんいわく

「あのお店、なくなるよ」とヒロちゃんにこそっと耳打ちしていました。

 

ほたるの店に30分いたかどうか、そそくさとヒロちゃんと一緒に

帰ったのでした・・・・

 

さてさて、こういう経緯からヒロちゃんはスナック、キャバクラの

ダブル飲み生活を続けたのですが・・・・

その生活が終焉を迎えることになります。

 

続きは次の記事に譲ることにいたします!!

ご期待あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックの新規開拓から、初めてのキャバクラデビュー!!楽しい一人飲み

キャバクラ

こにゃにゃちわんこ~~~~ 角ハイボールで晩酌中のヒロちゃんで~~~す♬

 

前の記事で、佐久市から転勤してきたヒロちゃんが、飲み屋の新規開拓を

初めるという事を書きました。

dorachan07.hatenablog.com

 

今回は、その新規開拓によって、ヒロちゃんの飲みライフがどう展開されたか

綴って行きたいと思います。

 

2003年の2月から自宅から通勤できる支店に転勤になったヒロちゃんですが

最初の1年間はほとんど夜の街に繰り出すことはなかったです。

支店の忘年会とか、業務係のお疲れ様会などの機会に数回支店のある安曇野市

次長、課長以外は全部女性という飲み会に参加したぐらいで、ほとんど家で

晩酌していた生活でした。

 

それが、2004年の2月から営業係に係替えした途端にガラリと飲み生活が

変わって行ったのです。

 

担当する地域内の主要法人・個人取引先の管理からはじまって、新規先の開拓

新規融資の貸し出しなど、営業係の仕事は本当に総合力が問われます。

金融のプロとしてお金にまつわる相談、疑問をネタにして商売していくのですが

一番大切なのは顧客と自分の距離をいかに短くするかが営業の肝だっと思っています。

 

相手の懐深く入って行ける取引関係ができあがると・・・

「お願いセールス」ができるようになるのです。

期末の時、数字の帳尻合わせのため1週間だけお金を借りて頂く。

自分のノルマが後1千万円足りないから、優良取引先の社長に泣きついて

「1週間だけ1千万円借りてください!!」

ってお願いするのです。

 

社長は嫌々ながら、

「でもヒロちゃんのお願いだから、借りてあげるよ。」

といって実行していただいた事が何度もありました。

 

こんな取引先との関係を構築するまで、少なくとも半年、いや1年間はかかります。

足繁く取引先を周り、用もないのに顔を出したり、ときには急な呼び出しに応じたりと

臨機応変な応対が求められるのです。

 

こういう超ストレスの掛かる営業係は、たいてい男ばかりのむさ苦しい集団です。

だいたい、仕事終わってみんなで帰るのですが、途中で一杯やっていこう!!
という事になるのが日常茶飯事でした。

 

係の係長をはじめとして、先輩後輩合わせて4人でよく居酒屋で飲んでいたのが

はじまりでした。

まだ営業係に係替えしたばかりのヒロちゃんは、なかなか仕事とお客さんに馴染めず

苦労していましたが、飲み会の席だけは喜んでついて行きました。

中には数回、支店長も同席での夜の飲み会もあって、緊張したことも覚えています。

 

そんなこんなで、毎週1~2日は仕事終わりに飲んで帰る事が習慣になっていった

ある日のこと、支店長がヒロちゃんに「松本駅前に、とても歌が上手なママさんの

スナックがあるから一緒に行こう」と誘われたのが、転勤先での新規スナック開拓の

はじまりでした。

 

そんなこんなで、支店長に連れられて、初めて松本駅前にある“歌のうまい”

ママのいるスナックに行ったのですが、確かママ一人だけで営業していたような

なんか店は広いのに暗い感じのお店だったような記憶があります。
お店の名前は「ニューヨーク」!!!
看板に自由の女神が描かれていて、ベタな感じがしましたが・・

ママが歌っていると、その魅力的な歌声に惹かれてしまいました。

 

ママさんはヒロちゃんよりも3歳年下の人で、クラブでホステスをしていて

独立してお店を構えたようです。

クラブの時の常連さんがママのお客様だったようでしたが、正直言って

「あまり盛ってない」ような感じのお店だったような気がします・・・

ママの源氏名が“ほたる”で、お店でも“ほたる”の名前が飛び交っていました。

ただ、やはり客筋があまり良くないと言うか、佐久で飲んでいたときの

客筋とは違っていたような印象がありました・・・

 

しかし、松本のスナックに通ってびっくりしたのがテーブルチャージの高いこと!!

座っただけで4,000円取られたので、ウイスキーのボトルなんて入れられません。

真露をチャージしてちびちび飲んでいました。

 

半年ぐらい、週に1回、多くて2回程度通うようになっていましたが、なんというか

積極的に寄って行こうとはなかなかなれず、と言っても他に一人でお店を開拓する

勇気も出なかったので、ズルズル「ニューヨーク」通いをしていたところ・・・

ママが、「自分のホステス時代に一緒に仕事をしていた友人がお店を出すから

よかったら行って見て」とヒロちゃんに言うのです。

 

ほたるに言われるまま、松本のかつての歓楽街「裏町」に新規オープンした

ラウンジ「チビ」

ここのママさんと、その後超仲良くなっていくのですが・・・

その話は次の記事に譲るとしましょう。

 

 

で、タイトルに書いた、キャバクラデビューについて紹介しなければなりません。

きっかけは・・・ヒロちゃんが勤務していた同じ銀行の松本市内の支店から

今度新規に融資をしたお店なので、ぜひ飲みに行ってほしいと、うちの支店の営業の課長に依頼があったようで(確か紹介した支店の営業課長とうちの支店の営業課長が同期入行だったと記憶しているのですが・・・)営業課長筆頭に営業係の男ばかり4人で

行ったのがきっかけでした。

 

それまで、スナックは何店か行ったことがあったのですが、キャバクラは初体験でした!!

一回行って見たいと思ったことはありましたが、なかなかきっかけがなく、なぜか

仕事の延長みたいな形でキャバクラデビューを果たしたのです。

 

メインバンクの紹介客と言うことでVIP席が用意されており(てか、VIPとそうでない席の違いも全くわかっていない状態です)、キャバ嬢が4人ついて宴席がはじまりました。

 

キャバクラと、スナックの大きな違い、それは「カウンター」です!!

 

カウンター越しにお客と接客するのがスナック。

キャバクラは、キャバ嬢が自分の隣に座って接客する。(これはクラブでも同じですよね~~~)

 

「カウンター」という仕切りで大きく接客が異なることを初めて知った体験でした。

また、料金体系も異なります。

スナックでは、テーブルチャージを支払えば、自分がキープしてあるお酒が

ある限り何時間でも飲んでいられます。

 

方や、キャバクラはセット制になっていて、ワンセット何千円という料金体系です。

開店間もない早い時間帯に行けば、ワンセット(このお店では50分でした)

4000円で、お店が用意したハウスボトル(焼酎なら大五郎、ウイスキーなら

サントリー・レッド)で悪酔いしながらwww、キャバ嬢との会話を楽しむという

ものだったのです!!

 

キャバクラ初デビューのヒロちゃんでしたが、1回でお気に入りのキャバ嬢に

巡り合ってしまいました!!!

“あや”ちゃんどいう源氏名でしたが、スリムで長身の体型で、眼力がとても強く

ヒロちゃんのどうでもいい話でも、ヒロちゃんの目を見て聞いてくれて、その

どうでもいい話に自分の意見を交えながら返してくれる、なかなか気が利く

キャバ嬢だったのです。

そして、あやちゃんを一回で気に入ったのは強引な営業を一切せず、

「気に入ったら、今度は指名してね♬」

と、さり気なくアピールしてにっこり笑っていたのです。

 

ヒロちゃんは、あやちゃんに一目惚れしてしまいましたwww

年はヒロちゃんの一回り下だったと思います。

昼間はアパレルのショップ店員をしながら、夜はキャバ嬢になって

ダブルワークをしながら、一人暮らしをしている子でした。

実家は、松本市の隣村の梓川村にあるようでしたが、実家に

いることを嫌って、一人暮らしをはじめたようでした。

Wワークの理由は、お金を稼ぐため。

昼間のショップ店員のお給料だけでは、一人暮らしができないので

夜の仕事もやっていたと、後になって聞かされました。

 

こうして、衝撃的なキャバクラデビューを果たしたヒロちゃんは

あやちゃんというキャバ嬢の魅力に取り憑かれてしまい、

その後、キャバクラ・スナックのダブル通いという超強行酒飲みスタイルを

2年ほど続ける事になるのですが・・・・

 

キャバクラと、スナックを旨く使い分けた飲み方をしていました。

というか、キャバクラのコストパフォーマンスの良さに気づいた

ヒロちゃんは、銀行を辞めて旅館の掃除の仕事に転職したジリ貧の状態でも

月1回あやちゃんのお店には顔を出していました。

開店からのワンセットは50分4,000円だったので、このワンセットだけ

目当てで転職後も1年ほど通っていました。

その後、昼間と、夜のダブルワークをこなしていたあやちゃんでしたが

とうとう疲労のために体を壊してしまい、実家に帰ることになって

このキャバクラ通いに幕を下ろすことになるのですが・・・・

 

結構長くなったので、この続きは次の記事に書きたいと思います。

銀行員時代、スナックとキャバクラのダブル飲み通いが何故続いたのか

そのあたりについて語って見たいと思います!!

 

乞うご期待あれ♬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックで楽しい一人飲み!新規開拓は成功したか?

新規開拓

おはこんばんちわ~~~ウイスキー飲みながら執筆中のヒロちゃんどえす♬

 

前回の記事で、佐久市から転勤して自宅転勤となったヒロちゃん、

dorachan07.hatenablog.com

 

自宅のある松本市から、隣町の安曇野市の支店に通うようになりました。

それで、佐久のママとの縁が途絶えたかというと、実はそうでもなかったのです。

 

今回はその辺りの事情と、新勤務地でどんな“酒飲みライフ”を送って来たか

書いていこうとおもいます♬

 

自宅から通勤できることになったのですが、通勤時間がとても長くなってしまい

最初は困惑しました。それまで、あまり公共交通機関を使って通勤したことが

なかったので、バスに乗って駅まで行く⇒駅から電車で片道30分乗車。

ドアtoドアで通勤時間に1時間10分ほどかかるようになりました。

 

また、佐久市の支店では営業をしていたのですが、今回は業務係の各種相談窓口に

配属されたこともあり、自宅に戻って来てから約1年間は夜の街に繰り出して行くという機会がほどんどない生活を送りました。

業務係は、ヒロちゃんと、係長、次長以外は全員女性。

慣れない業務係の仕事で、飲みに行く元気が出ない。

何しろ、通勤に時間がかかり、その環境になかなか慣れない・・・

 

そんなことから、仕事に集中する事を最優先したヒロちゃんは

約1年間、夜の街に繰り出して飲み行く機会は数回しかありませんでした。

自宅と職場の通勤で疲れてしまい、もっぱら自宅で晩酌(ウイスキーではなく

何故かいいちこのお湯割りに変わってました・・)で過していたのです。

 

かなりの変化でしょ!!
ヒロちゃんにも、真面目にコツコツ仕事をこなしていた時期があったのです。

 

で、

佐久市のママさんのお店、転勤しても完全には切れていなかったのです!!

それというのも、2002年の秋の健康診断で、異常が見つかったヒロちゃんは

自分の担当先である内科クリニックに診断を受けたのですが(このクリニックが

前の記事で書いた、二日酔いで点滴してもらったクリニックです)

診断の結果、睡眠時無呼吸症候群の疑いがあるので、検査が必要との結果が

出てしまいました・・・

 

この診断結果が出たのが転勤の内示を受けた直後で、先生に、

「転勤になってしまったので、検査受けられないのですが・・・」

と、切り出したところ、

「一泊でいいからこっちに来て、検査受けられないかな~~

 土曜日もクリニックは診療しているから来られるよね。」

との先生のご提案。

2003年の2月一日での転勤辞令で自宅に戻り、2月4日から転勤先の支店で

勤務するようになりましたが、2月の土日は佐久市で1泊する事が2週続きました。

 

睡眠時無呼吸症候群の検査を受けるためにクリニックに行って、

「今夜寝る時にこの機器を着けて寝てくださいね~~
 機器は翌朝、クリニックのポストに投函して帰ってくださいね」

との先生のお言葉。

翌週、検査結果が出るので再度来てもらって治療方針を決定するということになり

二週連続して佐久市に通う事になりました。

 

検査機器の装着法を、看護師さんからレクチャーを受け(結構大変な

レクチャーでした)機器を預かり、予約した佐久平駅前のビジネスホテルに

チェックイン。当然、その夜はママさんのお店で飲んだくれ、(多分日付が

変わる頃まで飲んでましたwwww)

ホテルに帰って、検査機器を装着して寝ました。かなりベロベロに酔っていたので

果たしてこれで正確な検査結果が出るのかな~~とちょっと不安になったのですが。

翌日、検査機器をクリニックのポストに投函し、松本に帰りました。

 

で、翌週先生のクリニックに行って出た結果は・・・・

見事に睡眠時無呼吸症候群の疑いありでした。
(て、言うか検査機をつけて寝た晩は飲みすぎだったし・・・)

簡易な治療法として、就寝時にマウスピースをつけて寝れば

顎のかみ合わせが良くなって、気道が確保されるので、マウスピースを

作りましょうとの先生の提案で、佐久病院の歯科にかかれるよう推薦状を

持たされ佐久病院の歯科の予約を翌週に入れていただきました。

 

そんなこんなで、この睡眠時無呼吸症候群の治療のため、毎週佐久市

通うことになったのですが、寄れる時は佐久市に泊まってママの店に

顔を出していました。

 

その後も、半年に一回ぐらいは佐久に泊まっては、ママの店に行ってました。

ママも、佐久平のお店から、今度はママの義理のお兄さんが出資したお店の

雇われママさんとして、中込に帰っていました。

 

自分で経営していたときとは違って、大きなお店構えで使っている女の子も

常時2~3人はいたと記憶しています。(そのお店には都合3回しか行ってませんのでよく覚えていないんんです)

明るい活気のある感じのお店で、ママは生き生きとしていたように思います。

 

それで、やっとタイトルにある新規開拓の話に移れるのですが・・・

銀行で業務係だったヒロちゃんですが、1年経ったところで係替えになり
また営業の仕事に戻れました。

支店のある町の隣にある村全域が自分の担当エリアになり、

主にその村にある主要企業と、大口預金先を担当することになりました。

そして、新規の融資取引先を開拓することも主な任務にもなったので

(実は、ヒロちゃんは融資先の新規開拓が得意だったようです・・)

会社に事業資金をセールスする仕事に明け暮れるようになります。

 

既存の融資先に、更に新規の資金ニーズに応え融資を実行、融資残高の維持。

新規の融資先を開拓し、少額でも融資を売り込み実績を作る。

 

自宅から通える支店に転勤になり営業に戻った2年2ヶ月間は融資のセールスに

集中して仕事をしていたような気がします。(というより、こういう仕事が

自分には会っていたかもしれません)

当然、融資以外のノルマが存在し、この頃から銀行も投資信託を販売出来る

ようになったので、投資信託の販売ノルマもあったのですが・・

ほとんど無視していましたwwww

 

既存融資先への新規資金実行額

新規融資先獲得件数

住宅ローン実行残高

 

この3点だけ集中して仕事していたので、総合評価は散々たるものでした。

銀行は半年に一回自分が上げた業績評価が行われるのですが、与えられた

ノルマの達成度で自分の評価が決まります。

得意な分野ではノルマの120%の達成度を出せるのですが、不得意な

投資信託の販売や、クレジットカード販売数など預金業務に関わる項目が

いつも足を引っ張り、総合評価はいつもBランクだったのです。

 

そんなこんなで、営業係に係替えしたヒロちゃんは、毎日面白くない

日常が続き、佐久で通っていたママさんのお店みたいのが松本市でも

ないかと新規開拓に出ることになったのですが・・・・

 

ちょっと、長くなったので、続きは次の記事に譲ることにします!!
ヒロちゃんが松本市でスナック通いがどのように展開されるか

こうご期待あれ!!!