仮面温泉旅館フロントマンの本音を暴露

温泉旅館フロントマンは建前の姿、本音の自分を暴露する暴言録

スナックで一人飲みしていて、出会った貴重な人脈

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こんばんわんこ~~~酔っ払いのヒロちゃんです♬
(もう、毎回の挨拶は山崎邦正バリのギャグで!!!)

 

前の記事で、スナックで一人飲みにハマったヒロちゃんのことを

書きました。

dorachan07.hatenablog.com

 

今回は、お店で繰り広げられたママさんをはじめとして

飲みに来ていたお客さんとの関わりについて語って行きます。

このお店で出会えた人脈が、その時のヒロちゃんの仕事に

大いに役立たこともあったのです!!

 

このお店、本当に小さなお店だったので、カウンターで

一人のみしていると隣に座ったお客さんと自然に仲良くなっていきます。

ほとんどの場合、ヒロちゃんと同じく一人飲みで来るお客さんばかりで

(それも全員自分より年上・・・・)
職業も多岐に渡っていました。

 

そして、このお店で飲むことに安心感を覚えたのが、客層の良さでした。

酔いつぶれたり、酔っ払ってクダを巻く、暴れる!!

そんなことは一切なく、ママや女の子、そしてカウンターの他のお客さんと

ワイワイお互い楽しく喋りながら、紳士的に飲んでいました。

 

これは、ママさんの毅然とした接客の賜物だったと思います。

 ママさんは自分が嫌だと思ったり、問題を起こしたり、面倒くさいと思ったお客は

「二度と来るな!!!」と言って、塩をまいて(そんな事はしませんでしたが・・)
追い出していました。

 

客商売なのに、ママがお客を選んでいたのではないかと、今になって思っています。

だから、ヒロちゃんがいつお店に行っても、混んでて満席で入れないという

経験は全くありませんでした。

 

逆に、お客さんはヒロちゃんも含め2~3人だけなんてことも結構あり

お店をたたむ頃になると、ヒロちゃんだけの貸し切りの夜なんてことも

2~3度経験したこともあります。

 

佐久市の支店で勤務して、転勤になるまで、ママさんと関わって来ましたが

佐久市から安曇野市へ転勤になる2~3ヶ月前にママはお店を辞めてしまい、

とある会社が経営する居酒屋スナックの雇われママさんになってしまったのです。

 

この会社の社長さんが、ママのお店の常連さんで、(自分は会ったことないです)
ママが信頼していた方のようで、色々悩みを聞いてもらっていたようです。

実は、ママさんがヒロちゃんに自分のお店を辞めた本当の理由を、こっそり教えてくれたのですが・・・
重い更年期障害が原因で、自分で商売することが本当に嫌になってしまったみたいです。お店の運営のこと、女の子たちの給料や家賃、その他諸々・・・

色々考えるのが嫌で、いっそ雇われの身になって気軽に生きて行きたい、

そんな希望からお店をたたんだようです。

 

佐久市・中込にお店があってヒロちゃんの住んでいた独身寮から歩いて行ける

距離だったのが、今度のお店は隣町になってしまい、電車に乗って移動しないと

行けないところになってしまいました・・・

 

前みたいに、毎日行けるようなところではないので、ママが新しいお店に

移ってからは月に1~2回行ければいい回数になってしまい・・・

とても寂しい思いをしたものです。

 

 

と・・・・

えらく話が脱線しましたが、ママのお店で出会った貴重な人脈の話に

やっと入れるのですが、一人のみを長くしていて、出会ったお客様の中に

ヒロちゃんの支店の主要取引先である土建屋さんの社長も常連さんだったのです。

 

ママのお店で社長さんたちと仲良くなってしまい、仕事を抜きにしてママの

ファンと言うつながりで一緒にお酒を飲める間柄まで発展しました。

 

支店の融資課長が担当していた2社と、自分が担当していた1社、具体的には

木⚫建工社長

小⚫組社長

佐⚫組社長

守秘義務のため伏せ字にしてますwww)

この3人はママのお店で月1回無尽をやっていたみたいで

3回ほどその無尽の会の現場にお店で出くわした事がありました。

 

佐⚫組が自分の担当だったので、佐⚫社長がお店にいるのにびっくりして

ままにこそっと聞くと、いつも3人で月1回集まって飲んでいるということを

教えてもらい、木⚫社長と、小⚫社長に自分を紹介してくれました。

初めての時は名刺交換しただけで終わりましたが、2回目に出くわした時は

「あ!!またヒロちゃんがいるじゃないか!!」

と言われ席に混ぜてもらう事になりました。

 

何か歌を歌え!!とリクエストされたので、ヒロちゃんの得意な

中島みゆきの歌を数曲熱唱。

 

中でも「ヘッドライト・テールライト

youtu.be

 

これを歌ったら、小⚫組の社長に痛く感動され、

「俺の人生の応援歌をこんなにうまく歌うんか!!!」

と超褒められたのをよく覚えています。

 

その後、何回か3人と一緒させてもらった事があるのですが

いつも小⚫社長は、「ヒロちゃんヘッドライト歌え~~」とけしかけ

何故かヒロちゃんの歌声に聞き入ってくれました。

 

で、佐久市から転勤となった2003年の新年に、この3人の社長たちが

いつもママのお店で行っている新年会にヒロちゃんもよばれるという

光栄な機会を頂くことができました!!

 

2003年1月4日、ヒロちゃんは仕事はじめで出勤していましたが

3社長からのお招きがあるということで、定時で退社し電車に乗って

佐久平駅のママのお店に直行しました。(このとき、支店長はなんで自分が呼ばれなくてヒロちゃんが行くんだととても驚き、そして羨ましがっていましたが・・・)

 

社長たちの毎年の恒例新年会は、1月4日に群馬県のゴルフ場で新年プレーを

楽しんだ後、ママのお店に行って打ち上げの飲み会をするのが恒例のようでした。

すでに宴席ははじまっていて、ヒロちゃんが到着した頃にはもう皆さん

いい感じで酔っ払っていて、新年の挨拶もそこそこに

「お~~ヒロちゃんよく来た!!早く座って飲め~~~」

と、いきなりジョニ黒の水割りを駆けつけ三杯飲まされ宴会が進んで行きました。

 

当然、小⚫組社長からは、「中島みゆき歌え~~」とまくしたてられ

ヘッドライト、地上の星と、ヒロちゃんの独演会になって行くのですがwww

新年早々の営業だったこともあり、お客さんはまばらで22時を回った頃は

ヒロちゃんたちの席しかお客さんがいなくなったので、ママも店を早仕舞いして

宴席に加わり、5人で飲むことに・・・・

 

宴会がお開きになったのは確か午前1時頃だったような気がします。

気づいたらジョニ黒ボトルが5本空いてました!!!

どう考えても一人1本は飲んだ計算です。これにはヒロちゃんも驚いてしまいましたが

確かに5本空いてたんです・・・・

おそらく、寮に帰り着いたのは午前2時。そして翌日仕事に行ったのですが・・・・

始業時間ギリギリに支店に着いたのはいいものの、いかんせん超具合悪い・・・・

 

もう、朝からひどい二日酔いで仕事になんかなりません!!!

水をペットボトル1リットル一気に飲んでも、どうにもならないので

自分が担当していた内科のクリニックに行って点滴を打ってもらうことになりました・・・

 

ひどい脱水状態になっていたので、30分掛けて生理的食塩水を500ml点滴されて

「トイレ行きたくなりましたか?」と聞かれても全然だめ。

さらに追加で1リットル近く点滴され、やっとトイレに行きたくなって、治療終わり。

約2時間ほど点滴を受けてお昼過ぎには動けるようになりました。

 

支店に戻り、食事が取れるだけ回復したので支店長に謝りに行くと、烈火のごとく

叱られるかと思いきや、「ヒロちゃん午後は仕事してもらうぞ」と言われ

自分の主要担当先へ支店長と共に新年の挨拶まわりにでかけました。

支店長、かなり多目に見ていたようです。

 

そして後日、商工会の新年会で3社長とお会いしましたが、ヒロちゃんの

ひどい二日酔いがもう耳に入っていたらしく、

「あの晩は、相当飲んだからな~~~、点滴したなんて驚きだ~~」

と言われてしまう始末。ますます可愛がられるようになりました。

 

しかし、悲しいかなママと社長たちとの別れがやってきました。

2003年2月1日付けで転勤が決まりました。

かねてから希望を出していた自宅から通勤できる支店への配属が

このタイミングでやっと実現したのですが・・・

ヒロちゃんの心境は複雑でした。

 

自宅から通勤できて、両親と一緒に暮らせる関心感とともに

(ヒロちゃんは就職してから11年間、独身寮暮らしをしてました)

せっかく仲良くなれた社長達や、今やどんな悩みや苦しい時に愚痴れる

本当に自分のお姉さんみたいだったママさんと会えなくなることに

少なからずものすごい喪失感を覚えたのです。

 

転勤の内示がてたのが1月25日頃で、それから一週間で引き継ぎの資料を作り

引っ越しの準備をしたりと超慌ただしくなりました。

5年間住んでた部屋の片付けはかなりの困難を極めました。

てか、片付けられなかったのです・・・・(忙しいのと面倒くさいのと)

明日、引っ越し業者が来て引っ越す前の晩に、ママのお店に行ってお別れの

宴会をしてきました。

 

本当にお世話になりましたと、感謝の言葉しか出なくて、

泣けて来たのが印象に残っています。

「お前はホント手のかかる弟みたいなモンだったね!!」

と、言われた時は本当に涙が流れてしまいました。

 

 

飲んで帰った後、結局荷物の梱包が間に合わなくて、独身寮の

仲間(後輩たち)に手伝ってもらいながら・・・・

「ヒロちゃん先輩!!まだ荷物できてないんですか!!!
手伝いますから早く作業してください!!!」

 

手当たりしだい、部屋にあるものをダンボール箱に放り込み梱包して

引っ越し屋さんのトラックに積み込む・・

3人の後輩に手伝ってもらい荷物をトラックに積み込むことができました・・

当然、手伝ってもらった後輩達にはファミレスに連れて行ってお昼ごはんを

奢ってやりました。ヒロちゃんもこういう危機的な時に救いの手を差し伸べて

くれる人がいるんだと、とても感謝した記憶があります。

寮で最古参だったし(5年間住んでいたのはヒロちゃんだけでした)

皆と別け隔てなく気さくに話していたからだと思います。

我ながらこうやって自分の事気にかけてくれる人脈に恵まれたのは

自分の日頃の行動からだと実感した次第です。

 

ママさんをはじめとして、

3人の社長さん、

独身寮での仲間(後輩たち)、

様々なヒロちゃんにとって貴重な人脈だったのですが、転勤とともに

その後すべて疎遠になってしまいました。

 

特に2008年で銀行を退職した後は、全ての人脈が切れてしまい

今はみんなどうしているのかわからない状態です。

 

今となっては本当に残念なのですが、佐久のママさんだけは今どうしてるのか

元気にしているのか知りたいところです!!
ママさんがいつも言っていたのは年をとったら小さな蕎麦屋でもやって

のんきに暮らしたいということでした。

 

ママさんが本当にそういう悠々自適な生活してるのか、訪ねてみたいな~~

って気になって来ました。

 

佐久市で過した5年間はヒロちゃんの人生にとってとても貴重な学びを

与えてくれた5年間でした。出会う人すべてがとても素晴らしい方々ばかりで

ヒロちゃんの人間性を大きく育ててくれた恩人ばかりです。

職場の人々はもちろん、

取引先のお客様に一番刺激をもらって成長できました。

 

そして、一番の恩人がママさんです!!!

公私に渡って一番ヒロちゃんをサポートしてくれたのがママさんでした。

 

「お姉さん」みたいだったママさん、会いに行ってみたいですね~~

今実は密かに行動しようと仕込み中です。

ママさんに再会できたら、また記事にしますね~~~

乞うご期待あれ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スナックで一人飲みする面白さ!行きつけができれば最高♬

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スナックママ

おはこんばんちわ~~~ヒロちゃんです!!!

前回の記事で、それまで家飲み派だったヒロちゃんが

スナック通いの暴挙に出たと書きましたが・・・

dorachan07.hatenablog.com

 

今回はそのスナック通いの思い出を記事にしようと思います♬

(あ、決して写真のようなきれいなお姉さんがいたお店だったから

 通ったわけではないですよwww)

 

20代の頃は、スナック・キャバクラそんなところに行ってお酒飲んで

何が楽しいんだ!!って頭から決めつけていたヒロちゃん・・・

居酒屋でよく一人飲みしていました・・・・

 

居酒屋さんのカウンターに一人で座り、店主とカウンター越しに
他愛のないことで会話して酔っ払ってました。

また、たまたまカウンターで隣に座ったお客さんと意気投合して

一緒に飲む、そんなことをしていたひろちゃんですが。

 

どんきっかけだったかははっきり覚えていませんが、30代の前半になって

銀行員時代の赴任先の佐久市で行きつけのスナックができてしまい、
約2年ほどそのお店に入り浸るようになりました。

 

確か、そのスナックのママさんが、職場で一緒に働いていた女の子の叔母さんの店

ということで、支店長に連れられて行ったのがきっかけだったような???
そんな記憶が蘇って来ました。

支店長に連れられて行ったスナックは数件ありましたが、なぜか、このお店が

というより、ママさんに魅せられてしまい、その後ほぼ毎日通うことになって

行きました。小さいお店です。ママさんとバイトの女の子一人の2人だけで

カウンターは5~6人座れば満席。

4人掛けのシート席は確か2つだけだったような記憶があります。

 

ママさんは自分より確か12~15歳ぐらい上の小柄でスリムな方で

それでいてとても気風が良い姉御肌の感じで、はじめて会うと
「なんか怖い感じ」がするのですが、話をするととても思いやりのある方で

初めて行ったのに関わらず、「あ!!このお店また来たい!!」とすぐに

思わせる事ができるなかなか素晴らしママさんでした。

 

人の話を、話し手の目を見て真剣に聞いてくれることに初めて行ったとき

気がついたのでしょうか?このママさんのお店なら安心して飲めると

直感的に感じてしまったのです。

 

スナックって、いろんなお店があるじゃないですか。

お客だけ、入れるだけ入れて、お客の酒をがぶ飲みして新しい

ボトルをすぐ入れさせるようなボッタクリ店、訳のわからん安酒を

ハウスドリンクと言って結構いい値段で勧めてどんどん飲ませる。

女の子と話が弾むと、やれフルーツだのつまみだのと言って勝手に

いろんなものをオーダーして食べ散らかす次第・・・

 

こういうお客から金を巻き上げるような変な営業は一切せず

お客のペースで酒を振る舞い、自分たちはお酒を飲みに来る

お客さんのいろんな話、自分の愚痴、つまらななかったことなど

本当に他愛のないような話を真剣に聞いてくれながら、時には

鋭いツッコミが入る・・そんなとても安心しながら、かつ、

ママのところに行って普段同僚や上司に言えない不満や愚痴などを

聞いてもらえる安心な場所・・

そんなところだったので、ヒロちゃんがほぼ毎日のように通ってしまった

原因だったような気がします。

 

そんなこんなんで最初のうちは1週間に1~2回とか・・・そんな

ペースで行きはじめたのですが、だんだんママさんにいろんな事が

言えるようになってくると、だんだん通うペースが増えて行くようになりました。

 

ママも、最初は自分の愚痴を聞いていると、

「何甘えたこと言ってるの!!しゃんとしなさい!!」と突っぱねていましたが

だんだんヒロちゃんの「不器用なんだけれども、真剣に物事に取り組む」

「一度取り掛かった仕事は最後まで時間がかかってもやり抜く」

そういう本質をわかってもらえるようになって、

 

「お前もちゃんと考えて生きているのね~~~」

とヒロちゃんのことを認めてくれて、色々世話を焼いてくれるようになったのです!!

 

もう、こうなってしまうと、自分に「お姉さん」ができたような気分になってしまい

1年が過ぎた頃には、独身寮での夕飯はキャンセルし、ママの店で一杯飲みながら

ツマミを夕食にするという生活にどっぷりハマってしまいました。

 

ここまで信頼関係が構築されると、毎回ビール1本と、自分のキープしてある

ジョニ黒数杯、後ママさんの自慢の手料理のツマミ数点出してもらって

大体2~3時間いても3,000円以上を支払うことはなかったです。

冬の寒い時は、時々ママのサービスでサムゲタンが振る舞われる事があって

それはそれは超美味かったことを覚えています。

 

さてさて、この記事では何故ヒロちゃんがスナックにほぼ毎日通うという

暴挙に出たのか、きっかけをお伝えしましたが、ここのお店にほぼ毎日

通っていたら様々な面白いことに出会うようになります!!

 

今回は長くなったので、お店で出くわした様々な人との関わりのエピソードは

次回の記事に詳しく書きますね~~~

 

ご期待あれ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラックニッカ ディープブレンド 青は最高の家飲みウイスキー!

 

ブラックニッカ

 

みなさん、こにゃにゃちわ~~~酔っ払いのヒロちゃんでで~~~す♬

 

前の記事で、ヒロちゃんはアイラのシングルモルトウイスキーが大好きです

と投稿しました。

dorachan07.hatenablog.com

 

でもでも、アイラのシングルモルトウイスキー今では高くなってしまい

そうめったに買える代物ではなくなってしまいました・・・・・

 

ラフロイグ10年:3,800円~

ボウモア12年:3,400円~

ラガヴーリン16年:6,000円~

 

2001年頃の値段と比べると・・・かなりの高騰、いや適正価格に戻ったのかも
知れませんが、高価になりすぎて家で晩酌用に飲むお酒ではなくなりました・・

 

その後、ヒロちゃんがどんなお酒の飲み方をしたかというと、

行きつけのスナックを見つけて毎日通うという暴挙に出るようになったのです。

2003年頃から2005年までヒロちゃんは銀行員といて赴任していた佐久市

住んでいましたが、そこで行きつけのスナックができまして、週3~4日は

そこに行って晩ごはんがてらお酒を飲んでいました。

 

20代の時、スナックなんて行くもんじゃない!!って思っていたヒロちゃんが

何をどう思ったのか、スナックのママさんの魅力に取り憑かれ・・・

また、ここでママさんと様々な会話も楽しめるし、何しろストレス発散ににも

なるので、本当に通ってしまったんですね。

 

週に一回、6,000円でジョニ黒のボトルを入れて、それを水割りで飲みながら
ママさんや、お店のお姉さんと他愛のないことを話していました。

 

スナックに行かないときは、焼酎を飲むようになりました。

スナック通いで稼いだ給料をほとんど使ってしまうので、家飲みは

いいちこのお湯割りでした。

 

この、いいちこのお湯割りはその後結構長く(5年ぐらいかな~~)
続けましたが、銀行員をやめ、今の仕事についてからは、お店に飲みに行く

という時間が年に数回しか取れない状態になったので、またホームウイスキー

探すようになりました。

 

焼酎のお湯割りにも飽きてしまっていたので、何かもっと美味しいもの

ないかな~~て彷徨っていたところ、ニッカウイスキー飲んでみるか!!と

思い立ち、試すことになりました。

 

サントリー一辺倒だった頃、ニッカのウイスキーをまれに

買うことがあったのですが、その頃の印象は「まずいウイスキー」でしたwww

「スーパーニッカ」、「フロム・ザ・バレル」を飲みましたが、バーで様々な

ウイスキーに出会う前のヒロちゃんには、ニッカウイスキーの良さが

全く理解理解できなかったのです。(若すぎたのもありますが・・・)

 

ニッカのウイスキーの特徴は、一言で言えばサントリーに比べて“スモーキー”

ウイスキーです。

ニッカウイスキー創設者の“マッサン”こと、竹鶴政孝氏のウイスキーへの
こだわりがこういう作りをしていたのだと思います。

 

ここらへんの詳しい経緯は、ドラマ“マッサン”を見ると色々描かれているので

ここでは色々語りませんが、美味しいウイスキーを、多くの日本人に味わって

もらいたいという思いは十分に伝わって来ます。

 

サントリー=万人向け

ニッカ=本当の国産ウイスキー

 

こんな系図を描くことができるのではないでしょうか??

サントリーの万人受けする味わいと、広告の巧みな戦略によって

国産ウイスキーのシェアはサントリーが独占しますが、

本物のスコットランド生まれのウイスキーを日本で作り、

ジャパニーズウイスキーとして世界に認めさせたウイスキー

ニッカではないのかと、思うようになりました。

真面目な職人が、真面目にウイスキーを作って世に出すという姿勢が

お酒自体にも感じられるのがニッカの特徴では?と最近感じています。

 

オールドショック、という言葉ご存知ですか??
Wikipediaからの引用です。

1981年当時に日本消費者連盟が入手したとされるサントリーの内部資料によれば、オールドの成分構成はモルト原酒27.6パーセント、グレンウイスキー45.1パーセント、汲水26.1パーセント、甘味果実酒0.8パーセント、リキュール0.4パーセント、カラメル0.6パーセントとなっている。ここで言うグレンウイスキーのグレンとは、穀物のGrainではなく、山崎峡という地名にちなんだ渓谷のGlenであるとしていたが実際は無色透明の穀物アルコール(飲料用エタノール)であり、樽貯蔵がされていない以上、諸外国であればウイスキーとみなされず、単なるアルコール添加とされるものである。日本の酒税法では熟成年数が定義されていないとはいえウイスキー「らしい」琥珀色は熟成樽に貯蔵された結果であるため、1/4ほどの原酒に穀物アルコールを加えただけでは別途色付けや風味の調整が必要になる。それが甘味果実酒やリキュール、カラメルであり、日本消費者連盟が1978年に糖尿試験紙によって糖分の検出を試みたところ、ニッカ、キリン、オーシャン、東洋醸造協和発酵では検出されず、反応があったのはサントリーだけであった。また公開質問状においても前記の各社は使用していないと回答しているが、サントリーは消費者室長(当時)の中澤輝柾が「ブレンド内容は世界各国のどの企業も固有のノウハウとしている」ことを理由に回答を拒否している。ウイスキーは量産できないとしたニッカと異なり、輸入した原酒と穀物アルコールを添加物で調整したオールドは増大する国内需要を満たす唯一の銘柄であったが、貿易不均衡の是正を目的とした酒税法の改正(関税の引き下げ)もあって、価格の低下した品質の優れた著名な外国製ウイスキーとの競争を行わねばならなくなった。長年にわたってサントリーの業績に貢献してきたオールドも1980年代中期には、その売り上げを他の洋酒に奪われることになる(これを「オールド・ショック」[注釈 1]という)。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89より引用

 

この記述からもわかるように、サントリーの路線は、とにかく売る!!
というのが根幹にあったような気がします。

ドラマ“マッサン”の中でも描かれていましたが、マッサンが寿屋を辞めて

独立してまでもこだわったウイスキー造りというのは、こういう路線の

違いもあったに相違ありません。

 

で、ヒロちゃんが最初はまずいウイスキーだと思っていたニッカですが

バーでスコッチウイスキーの良さを知ってから改めて飲んで見たところ

これが超ピッタリ自分に馴染むことがわかったのです。

 

スモーキーなアイラモルトを好んで飲むヒロちゃんには、ニッカの味は

ぴったりでした!!安いウイスキーでも旨し!!!

ニッカのシングルモルト、竹鶴や宮城峡などは高くてとても買える

代物ではありませんが、バーで飲む機会があれば必ず飲んでますが・・

 

家飲みのホームウイスキーで、一番旨くてコスパに優れた商品はやはり

ブラックニッカ ディープブレンド 青に落ち着いてしまいました。

スーパーニッカが一番に最高な銘柄なんですが、なにせ安月給のヒロちゃんに

とっては高すぎます・・・

3日でボトル1本空けてしまうので、(ちなみに、マッサンの酒量は毎晩ハイニッカ

のボトル1本だったと記載されていますが・・・ほんまかいな???)

 スーパーニッカだと買いきれません・・

 

そこでブラックニッカに落ち着いたのですが、数年前に発売された

ブラックニッカ ディープブレンド 青は、アルコール度45度と高めなこともあり

ブラックニッカリッチブレンドを買って飲むよりかは、少ない量でより

酔っぱらえるので、ブラックニッカ ディープブレンド 青がヒロちゃんの

ホームウイスキーに認定されたわけです!!

 

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1500円で買えるウイスキーの中で、45%のアルコール度というのは

すごく貴重だと思います。

 モルト原酒をギリギリまで入れて、ニッカらしいスモーキーで味わい深く、

それでいて口に含んだ時に門が立たないというフレーバーはとても素晴らしいと

感じています。これで1500円??って思うほどの完成度です。

 

さらに、オンザロックで飲むと、今度は原酒の持つ様々な味が感じられ

(ググって見ると、バニラ感だとかビターチョコだとか書いてありますが・・
 ヒロちゃんはそんな表現わかりませんwww)

45度のアルコール度からくるツンとした風味が薄まったことで様々な

主張を感じることができます。

本当にこれが1500円のウイスキーの味か???
と疑ってしまうほど、本格的で味わい深い!!

で、度数が高いから少量で酔っぱらえるwwwwww

同じブラックニッカのリッチブレンドより1日分消費量が伸びる!!

 

という、本当にいいこと尽くめの素晴らしい家飲みウイスキー

たどり着くことができました。

 

ニッカさん、こんなに素晴らしく美味しくて、かつお財布に優しい

ウイスキーを出してくれてありがとう!!!!!!って感謝します。

 

 

ニッカウイスキーは、商品のプロモーションこそサントリーには

劣ってしまいますが、作るお酒はあの「山崎」や「響」に負けない

いいウイスキーだとヒロちゃんは信じています。

竹鶴12年と、山崎を比べればその違いがはっきりわかると思います。

 

バーに行く機会があれば、ぜひ、ニッカとサントリーウイスキー

飲み比べて見てください!!

マッサンこと竹鶴政孝さんのウイスキー造りへの思いってものが

商品に現れていると思いますよ。